あらすじ
上巻
戦国時代も遠い過去となった元禄期、人口が増加した江戸では、大成功を収めた商人に関する逸話が語り草となっていた。ある雪の日、対立する豪商の奈良屋茂左衛門にからかわれた紀伊国屋文左衛門は、その腹いせに道に積もった雪を消してみせると豪語。奈良屋が雪見酒をしている料亭の屋根から、節分の豆をお金に変えて道路にばらまく。お金目当ての人々で雪道はたちまち泥道へと早変わりしてしまう。そのような時代に生きて当時の世相を克明に書き記し、全37冊の日誌として遺した朝日文左衛門という武士がいた。(エピソード「はじめに」)
尾張藩、徳川家の御城代組同心で、石高100石の朝日文左衛門は、18歳にもなるのにだらしない長男の文左衛門を叱責する。父親から武芸の習得を言いつけられた文左衛門は槍術や剣術、柔術など手当たり次第に道場に通い始める。そして弓術道場の道場主の娘、けいとお互いに好意を持つ仲となる。(其の一「武芸志願」「槍の稽古」「弓術道場の娘けい」)
元禄5年元旦、自作の漢詩を伯父から褒められた文左衛門はその気になり、漢学者に弟子入りして学問の道を目指す。けいとの仲も順調に恋愛感情へと発展していくある日、下僕の茂助から芝居小屋での刃傷事件を聞いた文左衛門は、そのいきさつを日記に書き記す。また、当時流行していた人形浄瑠璃の影響もあり、文左衛門は巷で頻発する心中事件に関心を抱くようになる。そして、剣術道場の師範からの指示で、死体の「据物斬り」経験した文左衛門は、その生々しさが頭から離れず、刺身を食べて嘔吐し、寝込んでしまう。(其ノ二「漢学入門」「奇妙な刀傷」「芝居狂い」「姉様心中」「愛欲無惨」「据物斬り」)
元禄6年正月、20歳になった文左衛門は、当時ご禁制であったサイコロ博奕などの賭博行為に、友人と明け暮れていた。文左衛門は、家の中でも母親相手に「宝引き」に熱中し、それがばれて父親から叱責される。賭博ができなくなった文左衛門は、退屈しのぎに芝居小屋見物をしているスキに、刀を盗まれるという失態が続く。やがて弓術道場のけいとの縁談が進み、同年4月に文左衛門は彼女と結婚する。筆まめな文左衛門は、花嫁の記述はそっちのけで、両家の祝宴で出た献立の品々を日記に延々と書き綴る。(其の三「博奕侍」「母と博奕に熱中」「花嫁の来た日」「婚礼の献立」)
たとえ妻との秘め事の最中であっても「心中だ」の声で駆けつけるほどに、心中事件には目がない文左衛門。近所で起きた心中事件の際には、まるで現代の風俗ルポライターのように関係者に取材し、一部始終を日記に詳細に記録する。藩の財政が逼迫していたこの時期、贅沢品を取締る役人が没収品を領外で横流しするという不正行為が発生し、役人に変装した町人が同様の悪事を働くという事件が相次ぐ。ある日、文左衛門は父親から家督の相続を言い渡される。そして茂助から賭博取締りが厳しくなってきた事を知らされた文左衛門は、「花の元禄」といわれた時代が様変わりしていく時勢を感じるのだった。(其の四「心中ルポライター分左衛門」「簡略節減令」「取り締まり役人"柿羽織"」「父の隠居願」「賭博ご停止の令」)
五代将軍の徳川綱吉による法令「生類憐みの令」をめぐるエピソード。綱吉に世継ぎがない事を案じた母親の桂昌院が、僧侶の隆光に相談して隆光の助言により発令。蚊を殺しただけで流罪となり、病気の子供のために燕を捕った父子が斬罪となるなど、違反者は厳罰に処せられる。綱吉が戌年生まれだったため、特に犬が過剰なほどに保護され、病犬には犬医者をつけ、日本中の犬の戸籍を作成。江戸には広大な敷地に幕府直営の「御犬小屋」が建てられ、8万頭の犬の飼育費は武士や町人の負担となった。そのようなご時世、文左衛門は法令に背いて友人と共に釣りに出掛け、釣った魚をたいらげ、酔っ払った勢いで稀代の悪法と毒づく。(其の五「生類憐みの令」「燕を殺し斬首」「御犬小屋」)
21歳となった文左衛門は、殿から家督相続の承認を得るために同じ境遇の藩士達と共に城に出掛ける。ところが殿は一向に姿を見せず、ただひたすら待たされ、彼らは何日も通い続ける羽目になる。それでもなかなかお目通りは叶わず、文左衛門は妻に八つ当たりする。さらに仲間の策略に嵌められて、余計な無駄足を踏んでしまうという騒動が続く。そして8か月後の元禄7年12月に家督相続がようやく認可され、文左衛門は晴れて朝日家の当主となる。(其の六「切紙きたる」「御目見えの衆」「家督相続叶う」)
文左衛門は「御本丸警備」のお役目を拝命し、元禄8年正月に城へ初出仕する。ところが、城での勤務とは名ばかりで、夜になると文左衛門は父親の言いつけで持参した酒と料理をみんなに振る舞い、大勢での宴会が始まる。大酒を飲んだ文左衛門は、帰宅後にひどい二日酔いで寝込んでしまう。この時代の武士は暇をもて余しており、大酒や過度のセックスによる肝臓や腎臓疾患で若死にする者が多かった。やがて、朝日家待望の第一子である女の子が誕生し、文左衛門は大いに歓喜する。(其の七「出仕とは酒宴也」「娘生まる」)
文左衛門は、仲間から最近起きた不倫無理心中事件を聞かされ、世の女達の貞操のなさに驚く。博奕のやり過ぎで困窮している同僚の平岩伝太夫のために、文左衛門達は小銭を集めて援助を申し出る。その金を元手にサイコロ賭博の一発勝負をした平岩は、珍しく大勝して喜んだのも束の間、博奕取締りの役人に賭場へ踏み込まれ、捕縛されてしまう。のちに文左衛門は、平岩が士籍を剝奪されて尾張追放となった事を知り、禄米献上という実質的減給措置にあえぐ武士の生活の苦しさを嘆く。(其の八「運気女たち」「貧窮無類の世」)
元禄8年6月。熱しやすい文左衛門は、仲間を伴って網打ちでの川魚釣りに連日興じる。夢中になって立ち入り禁止の場所まで魚を追いかけ、役人に見つかって咎められるが、役人に袖の下を渡して事なきを得る。ある日、鉄砲場に見学に行った文左衛門は、凝り性の性分を発揮して、早速鉄砲師範に弟子入りし、鉄砲場に通い詰めるようになる。この頃から不景気の波が押し寄せ、幕府は財政再建のために金銀の含有量を減らす改鋳策を発令したが、結果的に物価上昇を招く事態となってしまう。(其の九「禁を犯し釣三昧」「鉄砲入門」)
簡略(倹約)令や賭博禁止令にもかかわらず、相変わらず芝居見物と博奕にうつつを抜かす文左衛門に、またしても日記のネタとなる事件が相次ぐ。分左衛門の親友、神谷段右衛門宅で働いていた下僕の青年が人妻の女中に横恋慕し、彼女を殺害して自分も自害するという無理心中事件が起きる。分左衛門は女の夫に遺体の引き取りを依頼する役目を担うが、夫は「正式な妻ではない」事を理由にこれを拒絶して、分左衛門を驚かせる。次の事件は、江戸に勤務する三人の武士が、女遊びに明け暮れているのを密告され、当主から叱責された事が発端。密告した同僚を逆恨みした三人は彼の暗殺を企てる。しかし計画は失敗し、追放処分を受ける羽目になる。尾張徳川家の治政下である名古屋は好色な事件が多く、「妻の浮気相手である武士に復讐した商家の主人の事件」「素行の悪い武士が後家の女とその娘を二人とも妾にし、不倫行為が発覚して改易処分を受けた事件」「座頭を口車に乗せた挙句、その娘を陵辱した武士が処罰された事件」など好色な武士にまつわる三つの事件を文左衛門は日記に書き記す。不景気の時勢が深刻さを増す中、文左衛門は道楽遊びだけでなく、高名な文人達とも交流し、元禄10年には分会にも参加し、勉学にも勤しんでいた。(其の十「無理心中事件に活躍」「いい加減な武士たち」「浮気の落し物」「奉公口入れ魔」)
元禄12年6月に尾張藩の第三代藩主、徳川綱誠が逝去し、徳川吉通が第四代藩主となる。この時期、文左衛門は同僚から当時起きた不義密通事件の顚末を聞く。ある武士の奥方が草履取りの少年を誘惑し、密通を重ねる。これを知った夫は、少年を手打ちにして殺害してしまう。ところが、自身は入り婿で立場が弱いため奥方には手を出せず、お咎めなしという事件。文左衛門は奥方に誘惑された挙句殺害された少年を憐れに思い、自分の淫乱さが事件を起こしたのに、何の処罰も受けない奥方がいる、という乱れた武家社会の実態にため息をつく。(其の十一「奥方、少年を淫行」)
下巻
元禄13年4月、27歳になった朝日文左衛門は「御畳奉行」に出世する。御役料として40俵が加増され、家族一同300石クラスの屋敷に移り住む。結婚7年目となり、好色な性癖が出てきた文左衛門は新任の女中、連と浮気するが、すぐに妻のけいにばれてしまう。嫉妬に狂ったけいは手のつけられないほどのヒステリーを起こし、文左衛門はすっかり女房恐怖症となる。翌年2月に、けいは城下に流行していた疱瘡に罹患し、顔に醜い病相が残ってしまい、ヒステリー症状が益々進んでいく。同年4月にはのちの「忠臣蔵」物語の基となった「江戸城松の廊下刃傷事件」が起きる。(其の十二「奉行に出世」「七年目の浮気」「妻けい荒れ狂う」)
元禄14年4月末から6月にかけて、文左衛門は畳表の買い付けのために上方(関西)に出張する。京・大坂では、文左衛門は酒宴に芝居見物に女遊びの費用がすべて畳商人持ち、という豪勢な接待を受ける。文左衛門は、連日の色事をヒステリーの妻から悟られないように、日記には自分にしか判読できない暗号文字で記述する。文左衛門にとっては「命の洗濯」のような上方出張は、彼の生涯で4度あった。(其の十三「上方出張で接待攻め」)
元禄15年、上昇していた物価が大暴騰して庶民の生活は逼迫し、金に困った武士達も禁制の賭博に狂い始める。朝日文左衛門は、日記に「妾を溺愛し過ぎたあまりついに発狂した武士の事件」「藩主の生母、本寿院によるセックススキャンダル」「赤穂浪士による吉良邸討ち入り事件」「博奕宿を開いた藩士が発覚後の処罰を恐れて『過食自殺』をした事件」などを記述する。文左衛門の妾となっていた連が妊娠し、妻にバレる事を恐れた文左衛門は知人の医師に頼んで堕胎させる。また、この年の11月には関東大地震が起こり、江戸幕府は深刻な経済難に見舞われる事になる。(其の十四「女狂いの末、乱心」「藩主生母の御乱行」「妾連の妊娠」「過食自殺」)
元禄17年3月より「宝永」と改元。けいのヒステリーが激しさを増し、文左衛門は友人宅で浴びるように飲酒し、再三嘔吐する日が続く。宝永元年8月に、姑を憎んだ嫁が、神社の神木に藁人形と呪いの五寸釘を打ち付けたところ、蛇が股間に入って死亡するという「怪談『丑の刻まいり』」まがいの事件が起きる。32歳になった文左衛門は、本寿院の相変わらずの男狂いの噂話を肴に、同僚と酒を酌み交わす。そして、結婚12年目にしてけいとの離縁が成立し、妾の連にも暇を出し、文左衛門はふたたび生気を蘇らせる。(其の十五「丑の刻まいりの女」「妻けいとの離縁」)
草履取りの下男が主人と妾女を殺害した事件を茂助から聞いた文左衛門は、殺伐とした世相を嘆く。本寿院の度を過ぎた淫行ぶりに苦慮した江戸幕府の老中達は、彼女の蟄居処分を決断。本寿院は抵抗するが、結局41歳にて名古屋の屋敷に幽閉される。この時期、文左衛門は同僚から「小間物問屋の女将が妻が着物をはだけながらも勇敢に泥棒を追いかけた事件」を聞く。しかも、「女将の悲鳴を聞きながら賊を追わなかった町代や夜番は厳罰に処せられるという逸話」の顛末を、文左衛門と同僚達は、鴨鍋をつつきながら恰好の酒の肴にする。朝日家に跡継ぎがいない事を案じた父親の勧めで、文左衛門は農家の娘、りよとの再婚を決断する。身分の差があるので、とりあえず内縁の妻として家に入れ、手続きが完了した1年後に二人は正式に夫婦となった。(其の十六「草履取りの主殺し」「藩主生母、本寿院蟄居」「泥棒を追う女房」「百姓娘りよを内妻とする」)
宝永3年から4年にかけて、酒と女におぼれるばかりか、家来に命じて真冬に温水プールを作らせるなどの愚行を繰り返す藩主の徳川吉通の愚行を、文左衛門は日記に容赦なく書き留める。さらに、茂助から聞いた話として「用便中に厠を覗いた老婆を妖怪と勘違いして斬りつけたあわて者の武士の珍事件」を日記に記す。なお、富士山が噴火した宝永4年に、後妻のりよが女子を死産する。(其の十七「“大根”藩主吉通の水舟騒動」「厠の妖怪婆」)
宝永6年1月に「御犬公方」と揶揄された将軍の徳川綱吉が没し「生類憐みの令」が廃止となる。同年3月に、たび重なる妻の浮気に悩んだ夫の武士が自害するという事件が起きる。これを知った浮気相手の職人の男も責任を感じて自殺するが、原因を作った妻はけろりとしている。姦通が後を絶たない当時の風潮と女達の気の強さを、文左衛門は書き記す。最初の子を死産したりよは縁起を担いですめと改名していたが、同年6月に再び死産する。以降、すめは前妻を上回るほどのヒステリー女となり、またしても文左衛門は連日夜遅くまで深酒するようになる。そのたびに介抱してくれる女中のえんとできてしまう。同年12月には前妻とのあいだに生れた娘のこんの結婚が決まる。婚礼前夜に、文左衛門は娘のために夜を徹して客をもてなす。(其の十八「堂々たる不倫妻」「後妻すめも嫉妬に狂う」「娘おこん嫁ぐ」)
宝永7年3月から5月にかけて、文左衛門は3度目の上方出張をして、例によって酒に女に連日遊びまくる。この時期、藩の財政が逼迫し、減給となった武士の生活は苦しく、あまりの困窮に乱心した妻が我が子を斬りつけ、自害するという痛ましい事件が起きる。また同年8月には、夜道を襲われた三人の中間が勇敢にも賊を撃退するが、文左衛門は彼らに対する藩の報奨があまりも少ない事に強い義憤を感じる。さらに翌年4月には粗末な着物を嘲笑された武士が相手を斬殺し、自らも成敗されるという凄惨な事件が起きる。(其の十九「貧窮する藩士たち」「御状箱強盗」「貧しさを笑われて」)
宝永8年4月に「正徳」と改元。文左衛門とえんとの不倫関係を知ったすめは、半狂乱となって二人を責め立てる。結局えんは家を出て行き、文左衛門はふたたび針のむしろの生活となり、深酒をするようになる。しかし、数日後にえんが家に戻り、文左衛門は大いに喜ぶ。同年11月にはすめは女子を出産し、あぐりと命名される。(其の二十「妻すめと妾えん」「家出します」)
正徳2年3月に文左衛門は4度目の上方出張をする。相変わらず派手な遊びを続ける文左衛門だったが、身体に黄疸が出て、酒毒(肝臓病)と診断される。正徳3年6月には、浮気症の武士の妻が、嫉妬に狂った浮気相手が雇った無頼漢達に襲われ、丸裸のまま神輿のように担がれて、夜の城下町走り回るという破廉恥な事件が起きる。六代将軍の徳川家宣が逝去し、まだ4歳の徳川家継が七代将軍となる。同年7月に尾張藩では徳川吉通が25歳で急死。吉通の3歳の嫡子、徳川五郎太が藩主を継承するが、彼もまた3か月後に病死。その後は吉通の弟である徳川継友が尾張藩主となる。(其の二十一「文左衛門、酒毒に冒される」「ふられた情婦の復讐」「将軍職の跡目争い」「相次ぐ藩主の死」)
正徳3年12月。ある金具職人一家が、昔の金をつぶして贋金作りをしている事が発覚して捕縛されるという事件が起きる。財政逼迫により金銀の含有量が減った本物よりも、贋金の方が立派過ぎたために目明しに見破られるという、皮肉な事件でもあった。(其の二十二「立派すぎた贋金」)
正徳4年から5年にかけて文左衛門の父母が相次いで死去。文左衛門は本寿院の噂を聞き、好奇心で彼女が10年間蟄居されている屋敷行く。そこで文左衛門が見たものは、庭の木に登り、男を求めて叫ぶ狂った老婆の本寿院の姿だった。この時期、領民の貧窮は過酷さを増し、随所で餓死や首吊りが相次ぎ、藩庁の無策ぶりを文左衛門は大いに嘆く。盗賊も横行したが、同5年には大きく重い長持ちを持ち出そうとして、あえなく捕まった間抜けな泥棒や、同6年には銭湯に放火して着物を盗む泥棒が出現し、丸裸の女達が町中を駆け巡るという珍事が起きる。同6年には徳川家継が死去し、紀州の徳川吉宗が八代将軍となる。財政難だった紀州を立て直し、名君との誉も高い吉宗の手腕に期待が高まる。(其の二十三「老父母の死」「縱の中に登る本寿院」「間抜けな泥棒」「女湯の衣服盗人」「紀州藩主吉宗の改革」)
正徳6年6月に「享保」と改元。徳川吉宗が将軍となり、徹底した倹約策が施行される。享保2年2月に文左衛門は上方出張が決まり、喜んだのも束の間、幕府の倹約策に準じて中止となり、大いに落胆する。しかし同8月には岐阜への出張となり、同行した同僚らとともに連日の酒宴に明け暮れる。その後、文左衛門は深酒しては嘔吐を繰り返し、肝臓を冒されていると医師から禁酒を進言される。しかしそれでも彼は飲酒を止めず、とうとう同年12月に病状が悪化し、日記も中断する。同3年9月、病床の文左衛門は末期の酒を一口飲んで息を引き取る。国学者の天野源蔵が日記の最後の頁に「終焉」の2文字を書き加え、「鸚鵡籠中記」は終わりを告げる。その後、朝日家は同11年8月に断絶となる。(其の二十四 終焉「倹約将軍吉宗」「最後の旅 岐阜出張」「朝日文左衛門死す」「朝日家の断絶」)
登場人物・キャラクター
朝日 文左衛門 (あさひ ぶんざえもん)
朝日家の当主。尾張藩の武士の家庭に嫡男長子として生れる。藩士として「御畳奉行」の職に就く。近親者や友人からは「文左衛門」と呼ばれている。酒や女、賭博に釣り、芝居見物が好きな自堕落な性格をしている。飽きっぽいが好奇心は強く、周辺で起きる出来事や伝聞を日記に克明に記す。恐妻家で、たまに拝命する上方への出張を楽しみにしている。 実在の人物、朝日文左衛門がモデル。
朝日 定右衛門 (あさひ じょうえもん)
尾張藩、御城代組同心百石の藩士の男性。朝日文左衛門の父親。厳格な性格で、だらしない性格の文左衛門をたびたびたしなめて叱責し、彼に武芸の習得を換言する。
朝日 けい (あさひ けい)
朝日文左衛門の妻。「弓道指南・朝倉道場」道場主の娘。道場に通っていた文左衛門と相思相愛の仲となり、のちに結婚し朝日家の嫁となる。第一子を出産後は次第にヒステリー症状が強くなり、文左衛門を悩ませる。近親者からは「けい」と呼ばれている。
朝日定右衛門の妻 (あさひじょうえもんのつま)
朝日文左衛門の母親。普段は厳格な夫に仕える貞淑な妻で、浮気症の文左衛門をかばう息子思いの母親だが、賭け事をして負けが込むと、いつまでもやり続けるという負けず嫌いな一面がある。
朝日 すめ (あさひ すめ)
尾張藩の海東郡東条村の農民の娘。朝日定右衛門のはからいで朝日文左衛門の2度目の妻となる。身分差のためにまず内縁の妻として朝日家に入り、のちにある藩士の妹という事にして1年後に正式な嫁となる。2度の流産のあと、前妻を上回る恐妻となって文左衛門を怖がらせる。
茂助 (もすけ)
朝日家に仕える下僕の男性。好奇心の強い朝日文左衛門のために、近隣で起きるさまざまな猟奇・色情・滑稽な事件を面白おかしく伝える情報通。時には、いい加減な性格の文左衛門に苦言を呈す事もある。
紀伊国屋 文左衛門 (きのくにや ぶんざえもん)
江戸の商人の男性。一代で巨万の富を築いた伝説的な人物。同時期に競った商人の奈良屋茂左衛門とはライバル関係にあり、激しい敵愾心を燃やしている。自分を侮辱する者には、策略を講じて相手の鼻をあかそうとする執念深い性格。実在の人物、紀伊国屋文左衛門がモデル。
宇津木 弾右衛門 (うつぎ だんえもん)
尾張藩の武士の男性。厳格な性格で曲がった事が嫌いな、融通の利かない人物。芝居見物中に泥酔した服部文六と些細な事で揉め事を起こし、朝日文左衛門の日記の恰好のネタとなる。
服部 文六 (はっとり ぶんろく)
貧乏侍の男性。大酒飲みのうえに短気な性格で、まったく斬れない刀を持つている。元禄5年2月までは尾張藩藩士の野崎主税の中小姓であったが、ヒマを取って浪人となる。泥酔して芝居見物に出掛け、些細な事で宇津木弾右衛門に因縁をつけて、大事となる事件を起こす。
都筑 半助 (つづき はんすけ)
尾張藩の武士の老人。妻に先立たれて後妻をめとるが、嫁入りが決まった後妻の連れ子に手を出すほど好色な性格。連れ子が結婚したあとも町外れの小屋に呼び出し、無理やり関係を迫るという常識外れな行動をする。
作兵衛 (さくべえ)
尾張藩に住む町人の男性。柿羽織の役人達の不正行為を偶然知って一計を案じ、藩の倹約政策に乗じて機転を利かせた大胆な詐欺事件を起こして金儲けを企む悪党。
徳川 綱吉 (とくがわ つなよし)
江戸幕府の第五代将軍。跡継ぎが生れないため、母親が信仰する僧侶の隆光の助言により「生類憐みの令」を発布する。戌年生れだったために特に犬の保護を厳格にし、違反者を断罪した事で後世に悪名を轟かせる。実在の人物、徳川綱吉がモデル。
平岩 伝太夫 (ひらいわ でんだゆう)
尾張藩の武士の男性。朝日文左衛門の仲間の一人。博奕好きで、賭博で負け続け、家財道具まで売り払っても足りないほどの借金を作ってしまう。文左衛門達が善意で集めた小銭を元手に、一世一代の博奕に挑む。
神谷 段左衛門 (かみや だんざえもん)
尾張藩の藩士の男性。朝日文左衛門の親友で、仲間と共にいつも酒を酌み交わして談笑している。屋敷内で女中に横恋慕した下僕に殺害される、という無理心中事件が起き、その後始末を文左衛門に依頼する。
熊沢 丹左衛門 (くまざわ たんざえもん)
尾張藩の武士の男性。素行の悪い札付きの人物との風評があり、ひさや町の後家とその娘までも浮気相手とするほど色欲が強い。
新野浅右衛門の弟 (にいのあさえもんのおとうと)
尾張藩の武士の男性。兄の新野浅右衛門とは異なり、悪賢い性格の卑劣漢。知人の座頭に年頃の娘がいると聞いて、城務めの世話をすると噓をついて自宅に娘を呼びつけ、その場で陵辱するという悪事を働く。
稲葉 弥右衛門 (いなば やえもん)
出雲守家中の武士の男性。稲葉家の入婿。好色な妻を持ち、妻が草履取りの少年と密通した事を知り、少年を斬殺する。しかし、入婿ゆえに妻には手出しができないという憐れな立場にある。
連 (れん)
朝日家の女中。朝日文左衛門が引越した際に奉公して来た若い女性。文左衛門の好みのタイプだったため、すぐに彼と不倫関係になり、朝日けいの激しいヒステリーの原因を作る。
夏目 紋右衛門 (なつめ もんえもん)
尾張藩の藩士の男性。「近江守組」に所属する武士だが、「しゅん」という名の妾との色欲に溺れ、近隣の火事がきっかけで、しゅんとの離別を恐れるようになる。次第に言動が正常でなくなって自滅してしまう憐れな人物。
鈴木 膳右衛門 (すずき ぜんえもん)
尾張藩の武士の男性。もともと好色で知られていたが、一人の妾を溺愛し過ぎて、朝昼晩かまわず愛し合うという異常さを露呈。見かねた両親が妾に暇を出した事で精神に異常をきたし、ついには屋敷の座敷牢に入れられ、毎日悲しい叫び声を上げるようになる。
本寿院 (ほんじゅいん)
尾張藩の第三代藩主、徳川綱誠の側室。第四代藩主の徳川吉通の生母として、綱誠逝去後は権勢並びない存在となる。男と見れば誰彼構わず江戸屋敷に呼び入れ、乱行の限りを尽くす淫乱ぶりで、たびたび朝日文左衛門の日記のネタとなる。実在の人物、本寿院がモデル。
荒川 十左衛門 (あらかわ じゅうざえもん)
尾張藩の隼人正組に所属する藩士の男性。刃物屋の看板の下を通るだけで顔色が変わるという生得の臆病者。一攫千金を夢見て自宅で博奕宿を開帳し、墓穴を掘る。
徳川 吉通 (とくがわ よしみち)
尾張藩の第五代藩主の男性。若くして藩主を継承したため、お世辞ばかりを言う側近に囲まれ、酒と女におぼれる日々を過ごす。家来に無理難題を命令し、思い通りにならないと激怒する堕落した暴君。実在の人物、徳川吉通がモデル。
鈴木 伊予守 (すずき いとのかみ)
尾張藩で徳川吉通に仕える老中の男性。適正な判断力に長けた老藩士で、まだ若く未熟な吉通に対し、助言したり諫めたりする立場にある。同時に吉通から嫌な役目も申しつけられる。
えん
朝日家に仕える女中。朝日文左衛門の妾。毎晩のように酔い潰れて帰宅する文左衛門をこまめに介抱する優しい性格。ただし、朝日すめに対しては、はっきりと物を言う気の強さも併せ持つ。
天野 源蔵 (あまの げんぞう)
尾張藩に住む国学者の男性。朝日文左衛門が終生師事し続けた人物。文左衛門とは、彼の臨終の場に立ち会うほどの深い師弟関係にあった。当時の日本社会では最高の知識人として高名を馳せた文化人。実在の人物、天野源蔵がモデル。
場所
尾張藩 (おわりはん)
現在の愛知県西部地域一帯に存在した江戸時代の藩。当時の江戸幕府各大名の中でも最高峰の格式を有し、「名古屋城」に居城する藩主は、代々尾張徳川家が継承する習わしとなっていた。いわゆる「徳川御三家」の筆頭格的な存在の藩でもある。
その他キーワード
中間 (ちゅうげん)
武家に仕えていた身分の低い雑兵の一般的呼称。足軽と小者との中間の位である事から、「中間」と名付けられたともいわれる。戦さがなくなった江戸時代には、主に城門や行列の際の警備や、飛脚便の配達などを使役としていた。
クレジット
- 原作
-
神坂 次郎