史記

史記

司馬遷の同名の歴史書のコミカライズ作品。司馬遷が『史記』を執筆するに至る経緯から始まり、春秋時代から前漢までの出来事を描写する。原作では全130巻にも及ぶ膨大な記述を、主要な人物にスポットライトを当てて簡潔に描いているのが特徴である。

正式名称
史記
ふりがな
しき
作者
ジャンル
その他歴史・時代
レーベル
コミック文庫(青年)(小学館)
巻数
既刊11巻
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概要・あらすじ

学者の家に生まれた司馬遷は、20歳になった時、父親の司馬談の助言によって中国全土を旅して見識を広げた。その後、司馬遷は役人となったが、なかなか出世することができずにいた。そんな司馬遷の壮年期、歴史書の編纂事業を進めていた父親が病に倒れる。司馬遷は父親の遺言に従い、彼の事業を引き継ぐことになるのだった。

登場人物・キャラクター

司馬遷 (しばせん)

漢の時代の歴史家の男性。司馬談という学者の子として生まれ、若い頃は全国を旅して見聞を広げた。のちに官僚になるが、父親が生前に果たせなかった、歴史書を編纂する事業も引き継ぐ。この頃、将軍の李陵が匈奴討伐に失敗し、捕虜となるできごとがあった。皇帝の武帝はそれを失策とみなして激怒したが、司馬遷は李陵を弁護した。 そのことで武帝の怒りを買い、死刑を宣告されてしまう。しかし、宮刑を受けて命を助けられ、その後、『史記』の編纂事業を完成させる。実在の人物、司馬遷がモデル。

武帝 (ぶてい)

漢の皇帝。誇り高く短気な性格の男性で、気に入らない者に対しては容赦しない。北方の異民族である匈奴を討伐するため、将軍の李陵を派遣したが、李陵は戦いに敗れて捕虜になってしまう。これを李陵の失策とみなして激怒し、李陵を弁護した司馬遷にも怒って死刑を宣告したが、最終的には宮刑を下して命は助けた。実在の人物、武帝がモデル。

鮑叔 (ほうしゅく)

春秋時代、斉の政治家の男性。斉で王族の糾と桓公の間で後継者争いが起きた時、桓公を補佐して王位に就けた。この時、糾の側についた管仲は罪人となったが、管仲の親友であった鮑叔が彼の罪を許すよう桓公に進言したため、管仲が宰相に取り立てられる道を作った。実在の人物、鮑叔がモデル。

管仲 (かんちゅう)

春秋時代、斉の宰相だった男性。斉で王族の糾と桓公の間で後継者争いが起きた時、糾を支持した。糾が敗れて殺されたため、管仲も罪を受けることになったが、旧知の仲である鮑叔の弁護によって許される。そして桓公に宰相として重用され、国力の増強に尽力する。実在の人物、管仲がモデル。

桓公 (かんこう)

春秋時代、斉の支配者だった男性。鮑叔の進言を聞き入れ、敵対していた管仲を許し、宰相に登用する。有能な管仲に国政を任せたおかげで、斉は強国となる。怒りに駆られた時も、管仲の冷静な進言を受け入れて周辺諸侯の信頼を得ることができ、覇者(諸侯たちの盟主)になることができた。実在の人物、桓公がモデル。

驪姫 (りき)

春秋時代晋の君主、献公の妃。側室だったが、献公との間の男子を世継ぎにしたいと考えていた。そのため、献公の子の中でも特に優秀な申生、重耳、夷吾の追い落としを図り、陰謀を巡らせる。これにより申生は自殺に追い込まれ、重耳、夷吾は亡命することとなった。実在の人物、驪姫がモデル。

重耳 (ちょうじ)

春秋時代、晋の公子。献公の息子であり、俊英として期待されていた。しかし、驪姫の陰謀によって無実の罪を着せられ、自害を拒んで他国へ亡命することになった。亡命の際には、5人の有能な腹心が付き従った。60歳を超えてもなお諸国の間を流浪する苦難を乗り越え、晋に帰国して文公として即位する。実在の人物、重耳がモデル。

平王 (へいおう)

春秋時代、楚の君主だった男性。横暴な王として悪評が高かった。奸臣の費無忌が自己保身のために行った讒言(ざんげん)を信じ、重臣の伍奢とその息子の処刑を画策。まず伍奢を捕えたうえで、伍奢の2人の息子に「都に出頭すれば父の命を助ける」と言っておびき出した。この時、兄の伍尚は出頭して処刑されたが、弟の伍子胥は呉に亡命し、楚への復讐を誓った。 実在の人物、平王がモデル。

伍子胥 (ごししょ)

春秋時代、楚の重臣である伍奢の息子。父親の伍奢と兄の伍尚は、平王に無実の罪で処刑される。しかし、伍子胥は楚を脱出して呉に亡命し、楚への復讐を狙うことになった。目的を果たすためなら、いかなる苦難にも耐え抜く「復讐の鬼」と化し、呉の王に仕えて楚に侵攻する機会を窺う。実在の人物、伍子胥がモデル。

闔閭 (こうりょ)

春秋時代、呉の公子だった男性。初めは「公子光」という名で、呉王即位後は「闔閭」と名乗った。呉王の王位継承順位に納得しておらず、伍子胥の助けを得てクーデターを起こす。呉王に即位してからは、闔閭と名乗った。越を脅威とみなす伍子胥の進言を受け入れ、越に攻め入る。しかし、范蠡の策に陥り、矢傷を受けて命を落とした。 実在の人物、闔閭がモデル。

孫武 (そんぶ)

春秋時代の兵法家の男性。闔閭に見出され、呉に将軍として仕える。呉が楚に侵攻した際には、冷静に状況を判断して適切な進言を闔閭に行う。優れた戦術家であり、血の気の多い自軍の将軍からも一目置かれる存在。後世、孫臏とともに、「孫子」の尊称で知られるようになった。実在の人物、孫武がモデル。

勾践 (こうせん)

春秋時代、越の君主の男性。呉の王、闔閭の侵攻を受けるが、重臣の范蠡の策略によって撃退した。その後、闔閭の子である夫差に敗北し、屈服することになる。講和の条件として、夫差の下僕になるという屈辱を受けるが、耐え忍んで再起をはかる。実在の人物、勾践がモデル。

夫差 (ふさ)

春秋時代における、呉の君主。呉王闔閭の息子で、父親が越に敗れて死んだため、後継者となった。毎晩薪を敷いた寝床で眠り、その痛みで父親の敵を忘れないようにした。国力の充実に努め、ついに越を破って勾践を屈服させる。しかし、その後は越の実力を侮るようになる。実在の人物、夫差がモデル。

范蠡 (はんれい)

春秋時代、越の重臣だった男性。呉の闔閭が越に侵攻した時、主君の勾践に策を授けて撃退する。その後、勾践が夫差に敗れてからは、雪辱を果たすために軍事の増強に力を尽くした。血気にはやりがちな勾践に対しては、慎重な助言を繰り返す。実在の人物、范蠡がモデル。

文種 (ぶんじょう)

春秋時代、越の重臣の男性。主君の勾践が夫差に敗れて包囲された時、講和の使者となる。優れた知恵と交渉力により、勾践の命を助けて講和することに成功した。その後も、内政面で勾践を支え、越の国力の増強に貢献する。実在の人物、文種がモデル。

西門豹 (さいもんひょう)

戦国時代、魏の重臣の男性。魏の文公によって、官僚として取り立てられた。魏の東部にある河内地方の荒廃が進んでいたため、文公に命じられて地方の立て直しを図る。土地の住民が、迷信を悪用する有力者に搾取されていると知り、一計を案じた。実在の人物、西門豹がモデル。

呉起 (ごき)

春秋時代の兵法家の男性。『孫子』と並び称される兵法書『呉子』を著した人物。もとは衛という国の生まれで、仕官するために全国を旅していた。しかし、無名ゆえに登用されず、失意のうちに地元に戻る。名誉を重んじる性格で、のちに自分を侮辱した男たちを斬り殺し、故郷の村から逃亡する。実在の人物、呉起がモデル。

孫臏 (そんぴん)

孫武の子孫で、孫武とともに「孫子」と呼ばれる。戦国時代の斉に仕えた。同門の龐涓から魏に招かれるが、それは龐涓の罠だった。無実の罪に陥れられた孫臏は、両足を切られ、額に刺青を入れられる刑に処せられる。以後、龐涓の警戒心を解くように振る舞いながら、復讐の機会を窺う。実在の人物、孫臏がモデル。

龐涓 (ほうけん)

戦国時代、魏の将軍の男性。斉に仕えた孫臏とは同門だったが、彼の才能を警戒。そこで孫臏を偽って魏に招き、無実の罪を着せた。だが旧友としてのよしみから孫臏を処刑することには罪悪感を覚え、助命して足切りの刑にするよう魏王に進言する。実在の人物、龐涓がモデル。

商鞅 (しょうおう)

戦国時代の政治家の男性。本名は「公孫鞅」で、「商鞅」は通称。はじめは魏の宰相に食客として仕える。主人の死後は魏を去り、秦の孝公に仕官。その際、孝公の性格や求めているものを見極めるため、わざわざ三度謁見を取り次ぐよう希望した。孝公に仕えてからは、厳しい法の支配によって国力をつけるよう進言する。実在の人物、商鞅がモデル。

湣王 (びんおう)

戦国時代、斉の君主の男性。外交官の蘇代に命じ、燕を弱体化させる謀略を実行する。まず蘇代を燕に入国させて宰相に取り入らせると、燕王を退かせて政治を乱し、燕を内乱状態にした。疲弊した燕は斉に攻められ、2年間斉の支配下に置かれることとなった。実在の人物、湣王がモデル。

昭王 (しょうおう)

戦国時代、燕の君主の男性。当初は「太子平」と名乗り、燕の君主となってからは「昭王」となる。太子時代、斉の湣王の謀略により、燕の政治が大いに乱れた。政治を正すために決起するが、斉に欺かれ、斉軍を燕に引き入れてしまった。斉の属国となった燕の君主になって以降、燕の国力を回復するために尽力した。実在の人物、昭王がモデル。

楽毅 (がくき)

戦国時代の武将の男性。秀才で兵法に通じ、諸侯が争って登用しようとした名士。趙や魏に仕えた後、昭王の名声を聞きつけて燕に仕官する。斉に恨みを持っており、復讐しようとする昭王を助け、趙に赴いて同盟を結んだ。その後は燕を中心とする連合軍の司令官として斉を攻め、首都を陥落させる功績を挙げた。実在の人物、楽毅がモデル。

田単 (でんたん)

戦国時代、斉の将軍の男性。もともとは下級役人だったが、楽毅率いる連合軍が攻めて来た時、用意周到な準備をして逃れることに成功した。斉軍は敗戦や内輪もめで有力な将軍を失っていたため、先見の明を買われて田単が将軍に抜擢された。戦では楽毅にはかなわないことを心得ており、策略で撤退させようとする。実在の人物、田単がモデル。

孟嘗君 (もうしょうくん)

戦国時代、斉の公子。本名は「田文」で、孟嘗君は尊称。斉王と側室の息子として生まれる。たが、「生まれた日が不吉である」として、父親に殺すように命令されていた。しかし、母親によって隠れて育てられ、利発で肝の据わった青年に成長した。領主となってからは、財産を投げ打ち、多数の食客を抱える。どんな才能の持ち主でも迎えたため、食客の中には、盗みや物まねの名人もいた。 実在の人物、孟嘗君がモデル。

馮驩 (ふうかん)

戦国時代に、孟嘗君の食客だった男性。無一文だったが、孟嘗君が食客を集めていると聞いて屋敷を訪れた。孟嘗君に特技を聞かれても、「特にございません」と言い放ったうえ、待遇に不満を並べて孟嘗君を憤慨させる。しかし、弁が立ち度胸があることから、のちに能力を発揮し始める。実在の人物、馮驩がモデル。

藺相如 (りんしょうじょ)

戦国時代、趙の政治家の男性。ある時、強国である秦が趙の王に対して、貴重な宝玉である「和氏の璧」を要求し、軍事的な圧力をかけた。その際、知勇兼備の士と目された藺相如が、秦に対する使者として取り立てられ、無事に「和氏の璧」を守りぬくという使命を帯びた。実在の人物、藺相如がモデル。

廉頗 (れんぱ)

戦国時代、趙の将軍の男性。戦場で功績を挙げ続けてきた人物で、藺相如が弁舌と胆力によって趙の重臣に取り立てられた際には、それを快く思わず、公然と不満を口にした。だが、藺相如は廉頗に敬意を払って控えめに振舞ったため、廉頗は自分の態度を深く恥じて改め、以後は藺相如の親友となった。実在の人物、廉頗がモデル。

白起 (はくき)

戦国時代、秦の将軍の男性。猛将として知られており、天下の制覇を狙う秦が他国への侵略を繰り返した際も、その先鋒として幾多の戦功を挙げた。老将軍の廉頗が趙軍を指揮して抵抗したため、秦が苦戦を強いられた時には、事態を打開するために起用される。そして謀略を用いて、趙の司令官を交代させるように仕向けた。実在の人物、白起がモデル。

趙括 (ちょうかつ)

戦国時代、趙の将軍。名将として知られた趙奢の息子。幼い頃から兵法に通じ、秀才として知られた。しかし、実際は戦場の現実を知らず、机上の兵法を論じているだけだった。秦の将軍、白起にはその実力を見抜かれており、彼の策略によって廉頗に代わって趙の司令官を務めることとなり、戦局の悪化を招いた。実在の人物、趙括がモデル。

范雎 (はんしょ)

戦国時代の政治家の男性。学識のある知恵者で、初め魏に仕えた。しかし、機密を売ったという無実の罪を着せられ、拷問を受けたうえに便所に放り込まれるという屈辱を受けた。哀れに思った番人に救い出された後に国外に脱出し、「張禄」と名を変えて秦に仕官。秦で順調に出世しながら、魏に復讐する機会を窺っていた。実在の人物、范雎がモデル。

平原君 (へいげんくん)

戦国時代、趙の王族の男性。「平原君」は尊称であり、本名は「趙勝」。恵文王の弟で、三度宰相を務めた優れた政治家。趙が秦に大敗を喫した後、楚と同盟を結ぶ交渉に向かう。国家の存亡を賭けた重大任務ということもあり、楚に向かう際、自分の召し抱える多数の食客の中から、特に優秀な者を20名選んで随行させた。実在の人物、平原君がモデル。

毛遂 (もうすい)

戦国時代、趙の平原君に仕えた食客の男性。平原君が同盟交渉のために楚に向かうにあたって、食客から知勇兼備の者を随行員に選ぼうとした際、最後の1人がなかなか決まらない中、毛遂が自ら随行員になるよう申し出た。平原君は当初、毛遂の名声を聞いたことがないとして断ろうとしたが、見事に平原君をやり込めて、随行員に収まることに成功する。 実在の人物、毛遂がモデル。

春申君 (しゅんしんくん)

戦国時代、楚の政治家の男性。本名は「黄歇」で、春申君は尊称。学識も度胸もあり、楚の王の信任を受けていた人物。楚が秦に攻撃を受けた時には、秦の王に手紙を送り、攻撃をやめさせるように説得した。和議にあたって、楚は太子を人質として秦に差し出すことになった際、春申君が付き人として太子に同行した。実在の人物、春申君がモデル。

信陵君 (しんりょうくん)

戦国時代、魏の王族の男性。本名は無忌で、信陵君は尊称。身分を問わず人を大切にしたため人望があり、3000人に及ぶ食客を抱えた。多数の食客を情報源として各国の動向を探っていたが、能力が高すぎたためにかえって王に警戒され、政治の場から外されてしまう。実在の人物、信陵君がモデル。

侯嬴 (こうえい)

戦国時代の魏で、門番をしていた年老いた男性。侯嬴が賢者であると聞きつけた信陵君に、食客として迎え入れたいと申し出を受けたが、老齢を理由に断った。それでも諦めない信陵君に後日の酒宴に招待され、彼の人柄を計るため、あえてみすぼらしい門番の姿で屋敷に向かう。実在の人物、侯嬴がモデル。

呂不韋 (りょふい)

戦国時代の商人の男性。全国を歩いて回り、商売をしていた大商人。趙の都、邯鄲を訪れた時、秦の公子で人質だった子楚の存在を知る。投機をする商人の視点から、子楚との関係が将来大きな価値を持つと踏んで、子楚に近づいた。実在の人物、呂不韋がモデル。

子楚 (しそ)

戦国時代、秦の王太子の息子。公子という身分だが、多数いる秦の王族の1人に過ぎず、人質として趙に送られて、貧しい生活を強いられていた。そこで商人の呂不韋と懇意になり、資金を授けられる。また、呂不韋の授けた策略にそって立ち回り、秦の王位の継承者になることにも成功する。実在の人物、子楚がモデル。

始皇帝 (しこうてい)

戦国時代の秦の王。初めの名は「政」。呂不韋が子楚に献上した女官が生んだ男子で、子楚の後継者として秦王となる。幼い時から、あまり人を信用しない性格だった。王位に就いてから、母后とその愛人が起こした反乱を鎮圧。その後は、他国を軍事力で滅ぼし、天下の統一を進めた。統一を達成してからは「始皇帝」と名乗った。実在の人物、始皇帝がモデル。

李斯 (りし)

戦国時代、秦の政治家の男性。もとは楚の人で、貧しい小役人だった。ある時、便所にいる惨めなネズミと食料庫にいる太ったネズミを見比べ、「人間もまた、いる場所によって価値が変わる」ことを悟る。その後は一念発起して学問を修め、秦王の「政」(のちの始皇帝)に仕官し、有能な右腕として彼を補佐した。実在の人物、李斯がモデル。

太子丹 (たいしたん)

戦国時代、燕の公子の男性。秦王の「政」(のちの始皇帝)とは旧知の仲だったが、秦に人質として赴いた際に粗略に扱われて恨みを抱く。のちに無断で秦を脱出し、燕に帰国した。帰国後、秦に復讐するために始皇帝を暗殺することを目論み、刺客として荊軻を送り込む。実在の人物、太子丹がモデル。

荊軻 (けいか)

戦国時代、燕の男性。学識の深さや沈着冷静さを備えた人物だが、仕官することが叶わず、遊俠の徒として遊び暮らしていた。一方、燕の名士である田光には能力を評価されており、彼の推挙によって太子丹に召し出され、秦王の「政」(のちの始皇帝)を暗殺するよう依頼を受けた。実在の人物、荊軻がモデル。

王翦 (おうせん)

戦国時代、秦の将軍の男性。名将の誉れ高く、出処進退もわきまえた人物。秦王の「政」(のちの始皇帝)が楚を攻めた時、自分の意見が聞き入れられず、若い将軍、李信の献言が採用された。そのため、「秦王はすでに自分を必要としていない」と悟り、病と称して引退を申し出た。実在の人物、王翦がモデル。

趙高 (ちょうこう)

秦の始皇帝の側に使える宦官(去勢された男性)。卑劣で権力欲の強い佞臣(ねいしん)。死の床に臥している始皇帝の取次役となり、始皇帝と会話できる唯一の臣下となった。のちに死期を悟った始皇帝が書いた遺書を盗み見する。そこで長男の扶蘇が後継者になったことを知り、自分が操りやすい末っ子の胡亥が後継者になるよう、陰謀を巡らせて遺書を改竄した。 実在の人物、趙高がモデル。

扶蘇 (ふそ)

秦の始皇帝の長男。「焚書坑儒」などの始皇帝の恐怖政治に対し、父親を諫める進言を行っていた。しかし、これが始皇帝の怒りを買い、北方警備の任務に追いやられてしまう。始皇帝の遺書では後継者に指名されたが、佞臣の趙高の陰謀により陥れられてしまう。実在の人物、扶蘇がモデル。

胡亥 (こがい)

秦の始皇帝の末の息子。気が弱く、優柔不断な性格をしている。趙高に与(くみ)しやすいと見なされ、その陰謀によって始皇帝の後継者となった。以後、政治の実権を趙高に握られ、秦の国力を衰退させてしまう。実在の人物、胡亥がモデル。

陳勝 (ちんしょう)

秦代の農民反乱である陳勝・呉広の乱の指導者。貧しい農民の男性。秦の命令で辺境警備に駆り出された際、大雨で足止めされてしまう。秦の法律では、期日に間に合わなければ死刑になるため、「万が一にも生き延びられる道を」と考え、反乱を決意。呉広と協力し、農民たちをまとめあげて反乱軍の頭目となる。実在の人物、陳勝がモデル。

呉広 (ごこう)

秦代の農民反乱である陳勝・呉広の乱の指導者。農民の男性で、陳勝の友人。反乱を決意した陳勝に協力し、農民たちを味方につけようと、まず、「陳勝が王になる」という天のお告げがあったかのように細工をした。さらに、農民たちの憎悪が役人に向くように芝居を打つ。実在の人物、呉広がモデル。

項梁 (こうりょう)

呉中という町の有力者。項羽の叔父。学識があり、項羽に兵法書の手ほどきをした。秦に対する反乱が全国に広がった時、合わせて反乱を起こそうとした地方長官の郡主に協力を持ちかけられた。しかし先手を打って郡主を殺し、項梁自らが秦への反乱軍を率いた。実在の人物、項梁がモデル。

項羽 (こうう)

項梁の甥で、楚の将軍、項燕の孫にあたる。幼い頃から学問ではなく、武芸や兵法に興味を示し、武勇に優れた大男に成長。項梁が秦への反乱軍を旗揚げすると、副将となって武名を轟かせた。項梁の戦死後は、楚軍の総大将となるが、次第に冷酷な面が目立つようになる。実在の人物、項羽がモデル。

范増 (はんぞう)

項梁に仕える、老いた男性の軍師。もとは淮南に住んでおり、智謀の士としてその名を広く知られていた人物。秦への反乱軍を挙兵した項梁のもとに、ひょっこりと現れて献策を行い、その軍師となった。項梁の戦死後は、項羽に従い、引き続き優れた軍略の才を発揮する。実在の人物、范増がモデル。

劉邦 (りゅうほう)

出自は沛(はい)県の農民の息子。仕事が嫌いで、酒と女を愛し、毎日遊び歩いていた。しかし人柄に魅力があり、常に周囲には多くの人が集まっていた。30歳にして、ようやく亭長という最下級の役人となる。各地で秦に対する反乱が頻発する中、人望を買われて反乱軍の大将の1人に担ぎ上げられた。武将としての器は項羽に及ばず、負け戦も多かった。 しかし、優れた部下に恵まれたため最終的に天下統一を成し遂げ、前漢を建国する。実在の人物、劉邦がモデル。

子嬰 (しえい)

扶蘇の息子で、始皇帝の孫。二世皇帝の胡亥が趙高に用済みと見なされて殺された後、皇帝の正当な後継者として擁立された。だが、子嬰自身は聡明な人物であり、趙高の横暴を危険視し、おびき寄せて謀殺。世に陳勝・呉広の乱が広がって秦の権威が失墜する中、自ら皇帝より格下の「秦王」の称号を名乗る。実在の人物、子嬰がモデル。

章邯 (しょうかん)

秦の将軍の男性。陳勝・呉広の乱が起きた時、趙高から反乱を鎮圧するように命じられ、兵の不足を補うために囚人を解放して部隊を編成した。秦の名将として反乱軍を打ち破り、項羽とも戦う。のちに趙高に粛清されることを恐れて、項羽に降(くだ)った。実在の人物、章邯がモデル。

樊噲 (はんかい)

劉邦が旗揚げした時からの配下だった男性。劉邦の妻、呂雉(のちの呂后)の妹を妻としていたため、劉邦の義兄弟にあたる。劉邦は、秦の都、咸陽に入った時、王宮の財宝や美女に目がくらみそうになった。しかし樊噲は、劉邦に君主らしく振舞うよう諫め、贅沢に手を出させなかった。実在の人物、樊噲がモデル。

張良 (ちょうりょう)

劉邦の軍師の男性。韓の国の宰相の家に生まれたが、祖国を秦に滅ぼされたために復讐を狙っていた。密かに始皇帝の暗殺を狙うが、失敗して逃亡。陳勝・呉広の乱が起きると蜂起し、劉邦とともに戦った。劉邦が、韓の王から張良を客将として借り受ける名目で、劉邦の配下となった。実在の人物、張良がモデル。

韓信 (かんしん)

劉邦配下の武将。貧しい平民の息子として生まれ、学問は修めたものの働かず、若い頃は貧乏暮らしをしていた。荒くれ者に挑発されても動じず、あえて恥を受け入れる冷静さを持っている。陳勝・呉広の乱が起きると項羽の軍に加わるが、雑兵扱いされて献策も受け入れられなかった。その後、劉邦には部下の意見に耳を傾ける度量があると聞き、劉邦の配下となる。 実在の人物、韓信がモデル。

張耳 (ちょうじ)

魏国出身の政治家の男性。陳余とは旧知の仲であり、互いのために首をはねられてもよいとする「刎頚(ふんけい)の交わり」を交わしている。魏が滅ぼされてから没落するが、陳勝・呉広の乱が起きると陳余とともに乱に加わり、のちに趙の王を擁立する。しかし秦軍に本拠地を包囲されてしまい、苦しい中で陳余の援軍を待つこととなる。実在の人物、張耳がモデル。

陳余 (ちんよ)

魏国出身の政治家の男性。張耳とは、互いのために首をはねられてもよいとする「刎頚の交わり」を交わしている。陳勝・呉広の乱が起きると、張耳とともに乱に加わる。張耳とともに趙の王を擁立して秦に対抗していた中、張耳の立てこもる城が秦軍に包囲されるという事態が発生。救援に行こうとするが、兵力が足りないため進軍をためらってしまう。 実在の人物、陳余がモデル。

蒯通 (かいとう)

秦代末期から前漢初頭の説客(せっかく)の男性。説客として各地の君主のもとを訪れ、政策・軍略について助言を行っている。張耳と陳余が趙を打ち立てて范陽の城を攻めた時、その城主のもとを訪れて言葉巧みに城主を説得し、趙に降伏させた。その後は、しばしば韓信のもとを訪れ、その野望を煽る献策をする。実在の人物、蒯通がモデル。

陳平 (ちんぺい)

劉邦に仕えた軍師。貧しい農民の息子だったが、学問好きであった。兄に養ってもらう立場でありながら、兄嫁と密通する不道徳な面がある。陳勝・呉広の乱が起きると、自らも野望を抱いて挙兵。当初は魏の配下になるが、主君に警戒されたため出奔する。実在の人物、陳平がモデル。

蕭何 (しょうか)

劉邦の重臣の男性。劉邦が旗揚げした時からの側近であり、前線への物資の補給などの後方支援で活躍した。やがて劉邦から、謀反を起こすのではないかと不安視されるようになり、疑いを解消するために腐心する。劉邦が皇帝になった後は、韓信の謀反をいち早く察知し、おびき寄せて誅殺した。実在の人物、蕭何がモデル。

呂后 (りょこう)

劉邦の妻。劉邦の故郷の有力者、呂公の娘で、本名は呂雉。父親が劉邦の人柄に惚れ込んだため、その妻となった。劉邦が天下を取って皇后となり、呂后と呼ばれるようになる。権力欲が強く嫉妬深い性格をしており、劉邦の後継者が自分の子になるよう陰謀を巡らせる。劉邦の死後には、劉邦の側室の戚姫の惨殺をも命じた。実在の人物、呂后がモデル。

戚姫 (せきき)

皇帝となった劉邦が寵愛した側室の女性。劉邦との間に生まれた子を後継者に望んだため、正室である呂后の激しい憎しみを受ける。結局、劉邦の後継者は呂后の子に決まる。それでも呂后の嫉妬は収まらず、劉邦の死後投獄され、残酷な方法で処刑された。実在の人物、戚姫がモデル。

呂産 (りょさん)

前漢に専横を振るった呂后の一族の男性。劉邦の死後、呂后が実権を握ったため呂禄とともに出世する。呂后の死後、相国(宰相)の地位に就いて国政を取り仕切った。一族が専横を行うのに飽き足らず、呂禄と謀ってクーデターを起こし、呂氏の者を皇帝につける計画を進める。実在の人物、呂産がモデル。

呂禄 (りょろく)

前漢に専横を振るった呂后の一族の男性。劉邦の死後、呂后が実権を握ったため呂産とともに出世。北軍の上将軍に任命され、軍事権を握った。呂氏の専横に危機感を抱いた陳平や周勃により、呂産と引き離され、都を離れて自分の領地に帰国してしまう。実在の人物、呂禄がモデル。

周勃 (しゅうぼつ)

前漢の政治家の男性。太尉(軍事長官)の地位に就いていたが、劉邦の死後に呂后の一族が実権を握ったため、周勃自身は一兵も動かせなくなっていた。呂后の死後、同じように冷遇されていた陳平と協力。呂氏を一掃する計画を立て、手始めに呂氏の有力者である呂禄と呂産を、策略を用いて引き離そうとした。実在の人物、周勃がモデル。

文帝 (ぶんてい)

前漢の王族の男性。当初は「代王」と名乗った。呂氏は劉邦の死後専横を極めたが、結局一族は誅殺された。その後、重臣たちは皇室の権威を取り戻すために劉氏の直系を皇帝にしようと考え、代王を推戴する。慎重な代王は幾度も辞退するが、最後は説得に応じ、文帝として即位。極めて謙虚な人物で、功臣の周勃に礼を尽くして接した。 実在の人物、文帝がモデル。

袁盎 (えんおう)

前漢の官僚の男性。楚の出身で、気骨のある性格が認められ、郎中将(宮中の護衛長官)に抜擢される。文帝が周勃に対して謙虚に振舞っていたことについて、「君臣関係としてふさわしくない」と文帝に諫言する。また、文帝の弟の淮南厲王が殺人を犯した際にも、厳しく罰するよう文帝に進言した。実在の人物、袁盎がモデル。

晁錯 (ちょうそ)

前漢の官僚の男性。秦の始皇帝が儒学を弾圧したため、前漢の頃には儒学が衰退していた。このため、尚書(儒学の経典)を取り入れようと考えた文帝に、晁錯を呼び出され、尚書を学ぶこととなった。秀才の誉れ高く、以後は文帝に重用されるようになる。法を厳しくし、諸侯の領土を削減すべきという進言を行い、袁盎らと激しく対立する。 実在の人物、晁錯がモデル。

劉濞 (りゅうひ)

前漢の王族の男性で、呉の王。文帝の次代である景帝の頃、中央官僚の晁錯の方針によって、諸侯の力が削られようとしていた。劉濞はこの領土削減政策に反発し、高齢でありながら反乱を計画。同じく不満を持つ諸侯を指導してまとめ、呉楚七国の乱を起こした。実在の人物、劉濞がモデル。

周亜夫 (しゅうあふ)

前漢の将軍で、周勃の息子。「周亜夫」が本名で、「条侯」は尊称。呉楚七国の乱が発生した時、皇帝の景帝から反乱の鎮圧を命じられる。呉王の劉濞が率いる反乱軍は梁を攻めるが、あえて援軍を送らなかった。反乱軍が持久戦を苦手にしているという情報を得ており、兵糧を絶ちつつ持久戦に持ち込もうとしたためだった。実在の人物、周亜夫がモデル。

冒頓単于 (ぼくとつぜんう)

北方の遊牧民、匈奴の単于(王)。頭曼単于の長男で後継者だったが、頭曼単于は後妻との間に生まれた子を可愛がり、冒頓単于を廃嫡しようとした。そのため、冒頓単于は父親に命じられて近隣部族の月氏の人質となった。その後、頭曼単于が月氏を急襲した際に殺されかけることとなる。実在の人物、冒頓単于がモデル。

中行説 (ちゅうこうえつ)

前漢の宦官(去勢された男性)。北方遊牧民の匈奴の侵入に悩まされた前漢の皇帝は、匈奴に貢ぎ物を贈って平和を保とうとした。その際、皇女が匈奴の王に嫁ぐことになり、中行説はその守役として随行することを命じられた。彼は辺境の地に飛ばされたことを深く恨み、「漢にとって禍の男となる」と言い残して匈奴の地に向かう。実在の人物、中行説がモデル。

予譲 (よじょう)

春秋時代、晋にいた男性。当時、晋では6人の大夫(家老)が勢力を争っており、予譲は当初、6人の大夫のうち范氏、次いで中行氏に仕えたが、重んじられなかった。だが、続いて仕えた智伯は権力欲が強く、評判の悪い人物ではあったが、予譲の能力を高く評価して重用した。これにより、予譲は彼に強い忠誠心を抱くようになる。実在の人物、予譲がモデル。

聶政 (じょうせい)

春秋時代の斉で、食肉の解体を生業にしていた男性。もとは韓の生まれだったが、故郷で人を殺め、母親と姉を連れて身を隠していた。だがある時、静かに暮らしていた聶政のもとに、韓の大臣である厳仲子が訪れ、協力を求められる。実在の人物、聶政がモデル。

朱家 (しゅか)

秦から前漢の時代の、魯で活躍した遊侠の徒の男性。人を助けることに命をかけており、朱家に救われた人数は数知れない。項羽と劉邦が戦った時、劉邦軍を散々に痛めつけた項羽配下の季布には、劉邦が勝利した後、多額の賞金がかけられた。罪人を匿うことで、自身も罪に問われるリスクを覚悟して季布を匿った朱家は、季布の助命嘆願のために劉邦の重臣、夏侯嬰のもとに向かう。 実在の人物、朱家がモデル。

郭解 (かくかい)

司馬遷と同時代(前漢)に活躍した遊俠の徒の男性。若い頃は手に負えない乱暴者で、殺人や脅迫、略奪などの多くの悪事を働いた。捕らえられて投獄されるが、恩赦によって処刑を免れ、放免される。以後は、人が変わったように真面目で自制心の強い人物となった。また、困っている者には有り金をはたいて助けるなど、世間から尊敬される俠客となった。 実在の人物、郭解がモデル。

郅都 (しつと)

前漢の官僚の男性。景帝の時代に出世した。気が強く、どのような相手であろうとはっきりと直言する性格。景帝の信頼を得て、済南郡という土地の太守に任命される。済南郡には瞯氏という豪族が勢力をほしいままにしており、中央の統制が行き届いていなかったため、赴任後すぐに瞯氏の一族を皆殺しにし、法の支配を行き渡らせた。実在の人物、郅都がモデル。

寧成 (ねいせい)

前漢の景帝の頃の官僚。冷酷で悪賢い男性で、法の支配が厳しくなってきたことを利用し、他人が過去に犯した些細な不正を調べ上げ、上役を失脚させて昇進を果たした。その後は、皇族や高官が法を守るよう、苛烈なやり方で取り締まりを行った。実在の人物、寧成がモデル。

王温舒 (おうおんじょ)

前漢の官僚の男性。法による支配が厳格になった時代に登場した典型的な酷吏。当初は犯罪者を取り調べる下級役人だったが、忠勤に励んだことで出世。盗賊の討伐に功績を挙げたが、まるで狩猟を楽しむようなやり方で賊を殺戮し、その数は数万人にものぼった。実在の人物、王温舒がモデル。

杜周 (としゅう)

前漢の官僚の男性。前漢は厳しい法で人々を締め付けたが、かえって人心が離れ、治安が乱れる結果を招いていた。杜周は、賄賂をもらって悪事を見逃す役人を取り締まるために武帝に抜擢される。寛大そうに見えて、実際は極めて酷薄な人物。武帝の顔色をうかがうのが巧みで、武帝が嫌った者を罪人として告発する、などの手段で重用された。 実在の人物、杜周がモデル。

集団・組織

遊俠の徒 (ゆうきょうのと)

戦国時代から前漢の初期にかけて存在した社会集団。「一度約束したことは必ず実行し、窮地にある人は命に代えても守りぬく」ことを美学とし、国家の法に縛られなかった。そのため、民衆からは高く評価されたが、体制側には秩序を乱す者とみなされた。清廉な生活をしており、ヤクザ者とは別物である。朱家や郭解などが例に挙げられる。

イベント・出来事

陳勝・呉広の乱 (ちんしょうごこうのらん)

秦の始皇帝の没後に起きた農民反乱。秦は辺境の警備に農民を徴用していたが、任地に向かう途中、大雨で足止めされてしまう。秦の法律では、いかなる理由でも期日に遅れると死刑になるため、陳勝と呉広は反乱を決意。当時の秦への不満を背景に反乱軍は膨れ上がり、陳勝は王として擁立された。しかし、寄り合い所帯ゆえに仲間割れを起こし、陳勝の政権は半年で瓦解することとなった。

その他キーワード

和氏の璧 (かしのへき)

戦国時代の趙に伝わる宝玉。ある時、秦は趙に対し、「和氏の璧」と15の城を交換して欲しいと申し出た。しかし、これは軍事力を盾にした圧力で、見返りなしに「和氏の璧」を奪われることは明白だった。そこで、趙の恵文王は知勇兼備の藺相如を使者に抜擢し、「和氏の璧」を守らせようとした。

書誌情報

史記 11巻 小学館〈コミック文庫(青年)〉

第1巻

(2001-07-17発行、 978-4091925619)

第2巻

(2001-07-17発行、 978-4091925626)

第3巻

(2001-07-17発行、 978-4091925633)

第4巻

(2001-07-17発行、 978-4091925640)

第5巻

(2001-07-17発行、 978-4091925657)

第6巻

(2001-07-17発行、 978-4091925664)

第7巻

(2001-07-17発行、 978-4091925671)

第8巻

(2001-07-17発行、 978-4091925688)

第9巻

(2001-07-17発行、 978-4091925695)

第10巻

(2001-07-17発行、 978-4091925701)

第11巻

(2001-07-17発行、 978-4091925718)

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