主人公・「四位善一郎(しい・ぜんいちろう)」は9年前に母親を亡くし、今は父親と二人暮らしの中学生。とはいえ商社勤めの父は朝早く帰りは夜遅く、また日本各所や世界各国に出張続きで、あまり顔を合わせることもない。朝食は父が置いていくお金でパンなどを買い、すませていた。
そんなある朝、隣に住む幼なじみの「三井野八重(みいの・やえ)」が「しじみのみそ汁」を食卓に用意して善を起こしにやってきた。前の日にコンビニで「明日の朝食」を買いこんでいる善の「食材(おにぎりとカップのみそ汁)」をたまたま見てしまったことと、テレビで「朝食をとらない若者」のニュースを観た際に母が発した「誰かに作ってもらった朝ごはんはおなかだけでなく心も満たす」という言葉に触発されたためだ。
八重にとっては、善が母を亡くしたあの幼い日、泣き続ける善を慰めるために自分が放った「お母さんにだってなってあげるよ」という誓いを果たすためでもあった。……幼なじみを通り越して、八重のことが気になっている善にとっては複雑なものがあったが。
そんな思いはさておいて「しじみのみそ汁」が大好きな善は、ホクホク顔で味噌汁を口にする。だが、そのみそ汁の味は……?
「しじみのみそ汁」を美味しく作るためにはまず「しじみの砂抜き」をしなければならないことを知る八重。しじみ(貝)以外で味噌汁を作る時は「だし」をとらねばならないことを知る八重。正直、この「善に対する朝食作戦」を企てる前までは、「食」そのものは母親におんぶにだっこだった彼女は、味噌汁に関しても知らないことばかり。
もちろんその設定が、読者にとっての「みそ汁の作り方」の基本の説明につながっていくわけだが、読んでいるほうとしてははらはらどきどきの展開ではある。そんな「読者目線」もなんのその、善と八重のふたりは持ちつ持たれつの関係を保ちながら、少しづつ「みそ汁の作り方」をマスターしていく。
通常「家庭のみそ汁」というのは「いくつかの種類」の「実」をとっかえひっかえ、まわしていくものだと思う。「普通の」というと語弊があるが、「油揚げ」「とうふ」「もやし」「なす」「白菜」「玉ねぎ」「キャベツ」などを二種類ずつくらい(油揚げ+もやしなど)をまわし、たまに豪勢に「豚汁」を作るような(豚汁が豪勢かどうかはこの際置いておく)くらいだが、やはりそこはまがりなりにも「グルメマンガ(フードマンガ)」なので、その回その回のみそ汁はそれなりに「凝った」作りのものに思える。
今後の展開として気になるのは、善と八重の関係性もさることながら、登場するみそ汁のバリエーションの問題である。
物語の「キモ」がみそ汁にこだわる以上、話の展開もそこにこだわらざるを得ないわけだが、先にも書いたようにみそ汁の実(具)なんてそれほどあるわけでもなく、いや、ありとあらゆるものが「実(具)」として考えられればこそ、悪い言葉でいえば「それほど代わり映えがしない」といっても過言ではないと思う。
すでにみそ汁の変わり種である「冷や汁」も2巻でやっている。パンにあう「洋風のみそ汁」も、「インスタントみそ汁のルーツ」の話もすでにやった。ではこの後の展開は……? という部分は興味をそそる箇所でもある。