『月下の棋士』、実力制第四代名人として登場する刈田升三は、升田幸三をモデルとしている。
作中、一番モデルに近く描かれていると言われるのがこの刈田升三だ。
升田幸三といえば常に「魅せる将棋」というものを意識し、ファンがどうしたら喜ぶのかを常に考えて「新手一生」を生涯の目標に掲げた希代の人物として知られている。
彼が活躍していた昭和前中期は、現在の日本の将棋界のシステムが確立されて間もない頃で、大名人にして生涯のライバル、大山康晴十六世名人らトップ棋士としのぎを削り合い、まさしく道なき道を切り開いてきた。
特に定跡にとらわれない奇抜で自由な発想は、後進にも大きな影響を与え、現在でも定跡の発展に著しく貢献した棋士に与えられる賞に「升田幸三賞」の名がつけられているほど。
時の名人に対して暴言を吐くなど問題も多かった升田ではあるが、死後二十年以上経った今なお、話題にあがることの多い棋士なのだ。