舞妓たちが住む屋形(やかた)のまかないさんを務める少女が作る日々のごはんと、幼馴染をはじめとした舞妓たちの日常を描くほのぼのごはん漫画。主人公・野月キヨは中学卒業後、幼馴染の戸来すみれと共に、舞妓になるために青森から京都祇園にある屋形「市」にやってきた。しかし、キヨには素質がないからと、青森に帰るように言われてしまう。そんな時、屋形に暮らす舞妓たちの食事を作るまかないのおばちゃんが倒れてしまう。青森で祖母と共に料理を作ってきたキヨは、市のまかないさんとして舞妓たちの食事を作ることになるのだった。
舞妓は京都に住む人だけがなるものではない。全国各地から舞妓に憧れて集まった少女たちが、「屋形」で共同生活を行いながら、舞妓としての技術を身につけていくのだ。人が暮らしていくうえでは家事雑事が発生するものだが、舞妓たちが行うわけではない。日々の雑務と掃除は舞妓になる前の「仕込み」と呼ばれる舞妓候補生たちが行い、食事はまかないと呼ばれる料理担当者が作るのだ。舞妓たちは何をしているのかと言えば、日中は芸の習い事に費やされ、日が暮れてからはお座敷に出る。帰宅は深夜になるから、家事をしている時間などない。まかないのキヨは、舞妓たちの朝昼晩の食事やおやつを作っているのだが、置屋ならではの食事ルールがあるのが面白い。夕飯は座敷に出る前なので、皆紅をさした状態だ。紅が取れないように、何でも小さく一口サイズに作る。一口サイズの食事をとることが、舞妓になった証明となるのだ。日々忙しい舞妓たちを支えるまかないごはん、素朴な料理が多いところもほっとする。
舞の天才と呼ばれる芸妓である主人公が、自分の芸の血を残すために数多の男性と関係を持ちながらも、芸の道に邁進していく絢爛豪華な愛憎劇。祇園甲部の置屋「清白屋(すずしろや)」には、京都随一と呼ばれる舞の名手・胡蝶が所属していた。ある日胡蝶は、歌舞伎俳優であり歌舞伎踊りの家元である若宮虹四郎(こうしろう)を訪ねる。そこには稽古中の息子、周一の姿もあった。自分の方が上手く舞えると言って稽古場を後にした胡蝶は、その後座敷で周一と再会するのだった。
舞妓の見習いを「仕込み」というが、実は舞妓自身も見習いの立場であるというのは、あまり知られていない。舞妓が座敷に上がりながら芸事を習得し、二十歳前後になると芸妓になる。芸妓とは、舞踊や音曲、三味線などの鳴物で客をもてなし、座敷を取り持つ女性のことである。清白屋の胡蝶は舞の名手である。舞妓や芸妓が集まる座敷は衣装からして華やかなものだが、胡蝶が座敷に上がるとその容姿も相まって一層華やかだ。簪を多くつけた日本髪に豪奢な着物と、踊りには向かない衣装のような気もするのだが、着物だからこそ女性の持つ嫋やかな部分が強調される気がして引き込まれてしまう。一見さんお断りの店が多いせいか、一般人が舞妓芸妓を座敷に呼べる機会はあまり多くない。だからこそ妄想が働くのだが、本作の世界観は想像する京都花街の世界そのものといった様子で、現実とは思えない。胡蝶の舞は、読者をも日常とは異なる世界へいざなってくれる。
サッカーが大好きな主人公が、修学旅行先で舞妓に出会ったことから舞妓を志し、一人前の舞妓として座敷に上がるまで先輩や同期たちと切磋琢磨していく青春物語。中学三年生の相原琴美は幼い頃から男子に混ざってサッカーをしてきたスポーツ少女。家族にはガサツである性格を嘆かれていた。だが、修学旅行で京都にやってきた琴美は、偶然舞妓と遭遇する。自分とは真逆の女性らしい姿に感銘を受けた琴美は、自分も舞妓になると決心するのだった。
柔らかな京言葉におっとりとしながらも洗練された所作。舞妓が「女性らしさの象徴である」と感じた琴美の感覚は読者も共感する部分ではないだろうか。もちろん普段の舞妓は普通の少女なのだが、舞妓姿の時はイメージを崩さないように言動が著しく制限される。舞妓としてのアイコンを保てるのは、舞妓たちの努力があってこそなのだ。琴美は舞妓たちとは真逆の、ドロと汗にまみれた日常を過ごすスポーツ少女である。なにせ修学旅行先にまでサッカーボールを持ち込むのだから筋金入りだろう。そこまでサッカーに打ち込んできたのに、いきなり舞妓になると決心したのだから、琴美にとって舞妓との出会いはよほど衝撃的な出来事だったのだろう。とはいえ、舞妓への道は生易しくはない。普段の言動はもちろん、必須技能である舞を覚えるのも一苦労である。修業には忍耐が必要という意味では、スポーツに通じる部分もあるのだろう。折れない心こそ琴美の最大の武器だと言える。
昭和二十年代の京都祇園を舞台に、置屋の女将に見初められたことで舞妓芸妓となることになった主人公が、百年に一人と言われるほどの舞妓に成長していくサクセスストーリー。京都の山科で十一人兄弟の末っ子として生まれた珠子は、兄弟ともあまり話さず独りで遊ぶことが好きな風変わりな子どもだった。ある日置屋「石橋」の女将お福が珠子の両親を訪ねてくる。姉の千恵子を芸妓にという打診だったのだが、お福は珠子を気に入り、自分の跡取りとして育てたいと両親に願い出る。珠子は自身で置屋に行くことを選ぶのだった。
現代では義務教育後からしか修業はできないが、本作の舞台は昭和二十年代。まだお座敷文化が身近であり、女性の働き口として珍しくない時代である。とはいえ、齢三つにして芸の道に身を置くことになるという状況は、現代では想像するのがなかなか難しい。通いというわけではなく、もちろん住み込みである。姉というよりも親くらいの年齢差のある姉芸妓たちの中で、自身も一人前の舞妓を目指すというのはとても大変なことだ。置屋に入り珠子から改名した咲子が舞妓の咲也(さくや)としてデビューするまでの日々も描かれているが、とにかく覚えることが多い。舞だけでなく鳴物やお客との付き合い方、先輩や同期の芸舞妓たちとの付き合い方など、気を遣わなければならない範囲が途方もなく広い。そして驚くのが、営業活動が必要という点である。黙っていればお座敷に呼ばれるというわけではないのだ。自分を売り込んでいくのだから、ベストなパフォーマンスを見せなければならない。咲子にプロ意識が目覚めるのもうなずける。現代とは少し事情は違うが、仕事に対して妥協しない咲子の姿がまぶしく映る。
銀座の女帝と呼ばれる母親を持ったがゆえに周囲から偏見の目で見られ続けた主人公が、母親に反発し自分の力で生きていくために京都で芸妓として生きていく愛憎渦巻くサクセスストーリー。高校二年生の進藤明日香は、銀座の夜の世界に君臨する女帝と呼ばれる、彩香を母に持っている。それ故に男女問わず偏見の目で見られ続けてきた。テレビで見た祇園の舞妓に憧れを抱いた明日香は、育ての母である安西の死をきっかけに京都に行くことを決意。高校を中退し、単身京都に向かい屋形「よし野」の門をたたくのだった。
倉科遼原作の大人気シリーズ『女帝』の続編は、彩香の娘である明日香の物語だ。母親は地方から銀座に出てきてのし上がっていったが、娘は東京から単身京都へ。芸舞妓としての地位を築いていく。芸舞妓の仕事はもちろん芸を披露することなのだが、お酌をしたり話をしたりといったもてなしも仕事のうちである。本作は芸舞妓の仕事の中でもそういったもてなしの部分が色濃く出ており、それ故に明日香も様々な事件や騒動に巻き込まれていく。京都の花街がある祇園という場所が観光地である点や、芸を見せるという部分がクローズアップされるせいか、実は水商売であるという印象が限りなく薄い。お座敷には酒類が置かれているし、成人ならば客と一緒に芸妓も飲むことがある。本作を読んだとき、そういえばそうだったと気が付く読者も多いのではないだろうか。華やかな舞が披露される座敷の中で、社会の闇が見え隠れする。