概要・あらすじ
慶応4年、上野戦争をテーマにした作品で、養家を出て行き先がない吉森柾之助、上野彰義隊隊士で徳川家を守ろうと意気盛んな秋津極、秋津を止めようとする福原悌二郎の3人の少年たちの、時代に翻弄されたはかない運命を描く。
登場人物・キャラクター
吉森 柾之助 (よしもり せいのすけ)
『合葬』の3人の主人公の一人。おっとりした少年。嘉永5年生まれ。笠井家の養子だったが、酒宴で抜刀して死んだ養父の仇を討つよう、養母・養祖母に強要され家を出る。品川宿で幼なじみの秋津極、福原悌二郎に出会い、極に連れられて上野の彰義隊に入隊する。
福原 悌二郎 (ふくはら ていじろう)
『合葬』の3人の主人公の一人。真面目な少年。長崎の洋学者、間部長意に師事。長崎から、3-4日の予定で帰省したところ、友人の秋津極が自分の妹、砂世(さよ)との婚約解消を申し出るため、福原家を訪れていた。かねて彰義隊の存在意義に疑念を抱いており、極を連れ戻すべく、彰義隊に何度も出向く。 長崎に戻る前日に、撰から預かった手紙を渡しに彰義隊を訪れるが、運悪く上野戦争に巻き込まれる。嘉永4年生まれ。
秋津 極 (あきつ きわむ)
『合葬』の3人の主人公の一人。冷静沈着な少年。彰義隊十八番隊隊士。水戸に隠居させられた徳川慶喜の汚名を晴らすため、家を捨て、許婚だった、友人・福原悌二郎の妹・砂世(さよ)を捨て、上野の彰義隊に合流する。嘉永4年生まれ。
秋津 撰 (あきつ すぐる)
秋津極の弟。京都で医学を学んでいたが、兄が家を出たため家督を継ぐ。徳川慶喜の命が助かったのは、皇室の寛典であると、極を責め、実家に戻るよう説得するが、失敗。父の亡き後、母の文を福原悌二郎に託す。
森 篤之進 (もり あつのしん)
京橋の質屋・丸福屋久兵衛の三男。12歳のときに才を見込まれ、旗本・森家の養子になる。開成所に学び、剣は桃井直正に師事。彰義隊隊士。戦闘集団化する彰義隊の行く末を懸念し、彰義隊の存在に疑問を唱える福原悌二郎を穏健派に勧誘する。穏健派。隊士のたまり場となっていた松源楼で彰義隊強硬派の襲撃を受け、左手切断の重傷を負う。
川村 敬三 (かわむら けいぞう)
彰義隊四人幹部の一人で、穏健派頭首。彰義隊が政府軍の敵と見なされたことで、隊の解散を提案する。慶応4年5月4日に辞表を提出し、上野を去る。後に英学を修め、神奈川県修文館の校長となった。歴史上の実在の人物、川村敬三がモデル。
集団・組織
彰義隊 (しょうぎたい)
徳川慶喜の警護などを目的に結成された部隊。元は謹慎のため水戸に追いやられた徳川慶喜の冤罪を晴らすために結成されたが、勝海舟に市中の治安取締りを一任されてから、徐々に軍事的組織に変貌したため、新政府からは反政府勢力とみなされた。隊士は3,000人を超えていたが、川村派の工作、内部抗争により上野戦争開戦直前は1,000人前後になった。 15、6?20歳前後の少年で構成されていた。慶応4年5月15日の上野戦争で壊滅。新政府軍に破れ、解散した。
場所
写真師 (しゃしんし)
秋津極、福原悌二郎、吉森柾之助が記念撮影をした写真館で、柾之助はここで極に彰義隊に勧誘された。撮影代はガラス撮り紙写しで三枚三分より。露光時間がかかるので、首押さえ(支柱)で、顔がぶれないようにした。悌二郎は、PHOTOGRAHERをポトガラヒーと読んだ。
上野 (うえの)
新政府に恭順の意を表した将軍徳川慶喜の警護や冤罪を晴らすことを目的として結成された彰義隊の本拠地。慶応4年5月15日に開戦、同日終戦した上野戦争の舞台にもなった。