あらすじ
仁太郎の初恋
実の両親から育児放棄された志磨仁太郎は、祖父の志磨義心に育てられるが、義心が亡くなり、仁太郎は一人で暮らしていた。そんなある日、仁太郎は路上で常世の継母から叱責されている黒咲常世の姿を目撃。常世は実母がこの世を去ったあとにやって来た継母から、陰湿ないじめを受けていたのだ。幼い頃から常世に恋心を寄せている仁太郎は、少しでも彼女を慰めたい気持ちから、「飼い猫と主人ごっこ」という遊びを提案する。それは仁太郎が主人役となり、猫役の常世を甘やかすという秘密の遊びだった。そんなある日、常世はピアノコンクールで優秀な成績を収めたにもかかわらず、継母から暴力を振るわれる。ついに常世の継母のいじめに我慢できなくなった仁太郎は、日本刀を持って彼女の家へと向かうのだった。
仁太郎と常世の再会
常世の継母とトラブルを起こした志磨仁太郎は、地元の神戸を出て東京で暮らす遠縁の親戚・志磨珠代の養子になることが決まる。一方の黒咲常世は、相変わらず継母から陰湿ないじめを受けており、さらに弟の黒咲雄一が生まれたこともあり、家の中に居場所のない状態が続いていた。トラブルから3年後、関西の大学に進学することになった仁太郎は、神戸に戻ってくる。久しぶりの再会に常世は感激するものの、仁太郎は彼女に対してそっけない態度を取る。以前は優しかった仁太郎の変貌に常世は戸惑うものの、本質は変わっていないと仁太郎を信じることにする。そして仁太郎と対等な関係になるため、精神的にもっと強くなることを決意し、これまで言いなりだった継母に対して自分の意見をはっきりと口にするようになる。
珠子に求婚する仁太郎
ある日、黒咲常世は誤って川に落ちてしまう。気を失った常世を志磨仁太郎は川から救出し、偶然にもその場に居合わせた医師志望の曲直部珠子から応急処置を施されたことがきっかけで、三人は親しくなる。さらに仁太郎が東京で知り合ったパトロンの娘であるリーゼロッテ・メッゲンドルファーも仲間に加わり、にぎやかで楽しい日々を過ごしていた。そんな中、仁太郎は突然珠子に求婚する。仁太郎の考えていることが理解できず、この申し出を断った珠子だったが、仁太郎は簡単にあきらめることはなかった。
仁太郎が変わってしまった理由
黒咲常世は、志磨仁太郎を侮辱した常世の継母と決別する。そして常世は生前、志磨義心が経営していた映画館「志磨キネマ」に身を寄せることになる。料理が苦手な常世は日々失敗しながらも、仁太郎と過ごせることに喜びを感じていた。一つ屋根の下で共同生活を送っているうちに、常世は神戸を離れて東京に行った仁太郎の身に、何があったのか知りたいと思うようになる。仁太郎は常世に自分のことをあきらめさせるため、義母・志磨珠代とのあいだに何が起こったのかを打ち明ける。
仁太郎と常世の幸せな日々と珠代の思惑
黒咲常世は志磨仁太郎の過去を受け入れ、共に生きていくことを決める。常世は大学での勉強とアルバイトに忙しい仁太郎に代わって、家事をこなそうとするものの、常世の継母から何も教わっていないこともあってうまくいかない。そんなある日、常世は街で偶然会った曲直部珠子から、義姉の立花夕月を紹介される。家事を完璧にこなし、さらにまるで春風のような穏やかな性格の夕月に心惹かれた常世は、彼女に花嫁修業の講師になってほしいと申し出る。こうして常世は、リーゼロッテ・メッゲンドルファーと共に夕月の家に通うようになり、家事を学んでいく。その成果はすぐに表れ、仁太郎は自らのために奮闘する常世のことをますます愛おしく感じるようになる。幸薄い出生の仁太郎と常世は、初めて安らぎに包まれた幸せな生活に喜びを感じていた。穏やかな日々が過ぎていく一方で、志磨珠代が常世の継母に接近していた。そして常世の継母に対して、常世の見合い相手を紹介する。さらに珠代は仁太郎に対して自らが望むように生きることを命令し、仁太郎と常世が住んでいる映画館に放火する。
駆け落ちした仁太郎と常世の暮らし
志磨仁太郎と黒咲常世は志磨珠代から逃れるため、身分を隠して神戸の有馬温泉にある旅館で住み込み従業員として生活を始めた。駆け落ちをしてきた若い二人を周囲も好意的に受け入れ、仁太郎と常世に再び穏やかな日々が訪れる。そんなある日、仁太郎は亡き夫が仁太郎とそっくりだという、おばばと知り合う。おばばは持病と資金不足で民宿を営業できずにおり、夫と切り盛りしてきた大切な民宿を仁太郎に託すことを決める。そして仁太郎は、常世に民宿兼パーラーを開業しようと提案する。
常世の病
民宿兼パーラーを開業させることになった志磨仁太郎と黒咲常世は、その準備を進めていた。そこに二人が有馬温泉で生活していることを知り、リーゼロッテ・メッゲンドルファーもやって来る。そんな中、これまで仲睦まじく過ごしてきた仁太郎と常世だったが、開業を巡って初めてのケンカを経験する。しかし二人は話し合いで解決し、ゆっくりと着実に開業が現実のものとなっていく。そして当初予定していた開業日が訪れるが、常世の風邪が長引いてしまい、開業は叶わずにいた。これまで体調を崩したことのない常世はいずれ治ると楽観的に考えていたが、ある日咳とともに血を吐いてしまう。診療の結果、常世は結核に感染していると告げられる。だが、常世は担当医師の白鳥策の励ましもあり、前向きな気持ちで闘病生活を送る。そして民宿兼パーラーは周囲の人々の支えを受け、無事に開業を果たす。
一人取り残される常世
民宿兼パーラーを開業してから2年が経過し、黒咲常世の結核はゆっくりと進行している状態だった。そんな中、白鳥策と曲直部珠子は最新の医学知識を得るためにドイツ留学を決意し、服飾デザイナー志望のリーゼロッテ・メッゲンドルファーも同行を希望する。律も千年も家業を継ぐために忙しくなり、常世は自分だけ取り残された気持ちになっていた。常世は自殺も考えるようになるが、志磨仁太郎の励ましもあり、最期まで生き抜く覚悟を決める。そして昭和9年、仁太郎は現役兵として戦地へ赴くことになる。当初は兵役は2年の予定だったが、1年また1年と延びていき、ついに仁太郎からの手紙が届かなくなる。
登場人物・キャラクター
志磨 仁太郎 (しま じんたろう)
家族とのつながりが希薄な男性。実の両親から育児放棄をされており、両親の代わりに、祖父の志磨義心によって育てられた。となりの家に住む幼なじみの黒咲常世に思いを寄せており、常世のことを誰よりも大切に思っている。幼少期は心優しい性格の持ち主だったが、常世の継母とトラブルを起こし、東京の親戚である志磨珠代の養子になったことがきっかけで、辛辣で冷淡な性格に変貌してしまう。その後、神戸に戻ってきて祖父の義心が経営していた映画館「志磨キネマ」に一人暮らししている。常世との生活によって昔の穏やかな心を取り戻していく一方で、志磨仁太郎自身を支配していた珠代の黒い影に怯えることもある。涼しげな見た目の美男子で、身長も高い。本人は自覚していないものの、リーゼロッテ・メッゲンドルファーをはじめ、女性から好意を寄せられることが多い。常世からは「仁太ちゃん」と呼ばれている。
黒咲 常世 (くろさき とこよ)
華族の家柄に生まれ育った女性。年齢は志磨仁太郎の2歳年下。仁太郎の幼なじみで、幼い頃から仁太郎から思いを寄せられていた。一方の黒咲常世自身も心優しい仁太郎に好意を寄せており、自分を守ってくれたことから地元の神戸を離れ、東京に住む志磨珠代の養子になった仁太郎との再会を楽しみにしていた。東京から帰ってきた仁太郎が別人のようになり、自分に辛辣に当たるようになってからも、何か特別な事情があるのだろうと、彼のことを信じている。容姿端麗で、控えめながらも芯の強い性格の持ち主。実母を5歳の時に亡くし、そのあとに嫁いできた常世の継母から、激しいいじめを受けている。庭の隅にあるからたちの木の下で、ひっそりと涙している姿を何度も仁太郎に目撃されており、その儚さと美しさから仁太郎の心の中で「からたち姫」と呼ばれている。
曲直部 珠子 (まなべ たまこ)
志磨仁太郎たちが住む街の大きな病院の娘。黒咲常世が誤って川に落ちて意識を失った際に、応急処置をしたことで仁太郎、常世と知り合いになる。将来は医師になることを夢見ており、学生である今も病院の業務を積極的に手伝っている。言いたいことははっきりと口にするタイプで、命を粗末にする者に対しては特に厳しく当たる。仁太郎とはそりが合わず、顔を合わせるたびに口喧嘩をしている。のちに、白鳥策と交際をスタートさせる。仁太郎と同じ志磨家の出身で、曲直部家の養女となる。志磨珠代の実妹でもある。養女になる前は、常世からは「珠子お姉様」と呼ばれていた。
リーゼロッテ・メッゲンドルファー
志磨仁太郎が東京で知り合ったパトロンである男性の娘。仁太郎のことを非常に気に入っており、その縁で黒咲常世とも知り合いになる。仁太郎からはあまり相手にされていないが、気にすることなく猛アプローチを続けている。金髪ロングヘアの美少女で、スタイル抜群。自己中心的な性格ながら、実直で天然気味なことから憎めないキャラクターとして周囲から愛されている。常世とは仁太郎を巡るライバルであり、何かと張り合うことも多いが、良好な関係を築いている。特技は立花夕月から手習いを受けた裁縫で、作った服や小物は職人並みのクオリティを誇り、のちにファッションデザイナーを志望するようになる。周囲からは「リゼ」と呼ばれており、リーゼロッテ・メッゲンドルファー自身も自らのフルネームを正確に覚えていない。ドイツ出身。
志磨 義心 (しま ぎしん)
志磨仁太郎の祖父で故人。両親が仁太郎に無関心だったため、いっしょに暮らして身の回りの世話をしていた。仁太郎から慕われており、実の両親以上に大切な存在になっている。生前は映画館「志磨キネマ」を経営しており、仁太郎が映画や写真に興味を持つきっかけをつくった。自分の亡くなったあとに一人ぼっちになってしまう仁太郎を不憫に思い、形見として「撮影した相手と結ばれて幸せになれるカメラ」を手渡した。
志磨 珠代 (しま たまよ)
志磨仁太郎の義母。仁太郎の遠縁にあたる女性で、25歳の若さで志磨の当主を務めている。幼い頃の出来事が原因で妊娠・出産が難しい状況にある。神戸でトラブルを起こした遠縁の仁太郎の存在を知り、興味を示して志磨珠代自身の養子にした。仁太郎から誠二の復讐のために包丁を向けられたことで、自らの血筋を引く羅刹な一面を持つことに喜びを感じるなど、一般常識とはかけ離れた価値観を持つ。人の生死に感情を乱すことはなく、自分が興味のない相手が死んでも何も感じない。また、幼い頃から珠代自身の気に入らない人物を殺害してきた過去を持つ。神戸にいた頃は心優しかった仁太郎が、辛辣で歪んだ性格になるきっかけをつくった人物。曲直部珠子の実姉で、仁太郎と珠子が結婚することを望んでいる。
誠二 (せいじ)
志磨珠代が住む屋敷で御用聞きをしていた少年。地元の神戸を離れて東京にやって来た志磨仁太郎の、身の回りの世話をしている。明るく屈託のない性格で、仁太郎のことをまるで実兄のように慕っており、彼からもかわいがられていた。見知らぬ土地で養子として暮らすことになった仁太郎にとっては、心安らぐ存在であった。しかし、黒咲常世宛の手紙を託されたことがきっかけで、珠代によって殺害されてしまう。
立花 夕月 (たちばな ゆづき)
曲直部珠子の義姉で、立花月彦の母親。珠子の兄と結婚したことで親族となり、以降は彼女を本当の妹のようにかわいがっている。珠子が兄の家に遊びに行く際、偶然会った黒咲常世を誘ったことで知り合いになる。以降、常世とリーゼロッテ・メッゲンドルファーに料理や裁縫を教える講師役を務めた。明るく朗らかな性格で、常世からは「春風のような人」と評されている。着物姿の時にはうまく隠しているものの、スタイル抜群で胸が非常に大きい。珠子からは「ユヅ姉様」と呼ばれている。
立花 月彦 (たちばな つきひこ)
曲直部珠子の甥で、立花夕月の息子。黒咲常世が夕月から家事を習うようになって夕月家に出入りするようになり、常世と親しくなる。幼い頃からしっかりとした性格で、周囲の大人から非常にかわいがられている。ドジっ子なリーゼロッテ・メッゲンドルファーのことが放っておけず、彼女の付き人的な役割を担っている。リーゼロッテの方が年上ではあるものの、彼女のことは自分の妹だと認識している。
常世の継母 (とこよのままはは)
黒咲常世の継母。常世の実母が亡くなったあと、後妻として黒咲家に嫁いできた。常世のことが気に入らず、いじめを繰り返している。志磨仁太郎の前では優しい母親を演じているものの、仁太郎からは常世を理不尽に泣かせている場面を何度も目撃されているため、本性を知られている。黒髪の和風美人ながら、陰険な性格をしている。のちに長男の黒咲雄一を出産してからは、さらに常世を邪魔者扱いするようになる。常世を身分の高い男性のもとに嫁がせることで、黒咲家の格を上げる道具にしようと画策している。
黒咲 雄一 (くろさき ゆういち)
黒咲常世の実父と常世の継母のあいだに生まれた男児。常世の腹違いの弟にあたる。いずれは華族である黒咲家を継ぐ予定になっているため、周囲から大切に育てられている。常世の継母が常世を嫌っているため、常世に何をしても構わないと考えている節があり、周囲に知られないように暴言を吐いたり、暴力を振るったりしている。早く常世を家から追い出し、両親と三人で暮らしたいと思っている。常世の継母からは「雄ちゃん」と呼ばれている。
律 (りつ)
神戸の有馬温泉地域にある、由緒正しい神社の娘。志磨仁太郎と黒咲常世が駆け落ちしたあと、有馬温泉方面に逃げてきた二人を父親が保護したことをきっかけに親しくなる。実家の神社が地域の人々から信仰を集めていることもあり、大人からは特別扱いされながら育つ。その一方で、同年代からは贔屓されてずるいと陰湿ないじめを受けた過去があり、人付き合いを苦手としている。常世は生まれて初めてできた親友でもあり、大切に思っている。仁太郎と常世からは「律っちゃん」と呼ばれている。
千年 (ちとせ)
神戸の有馬温泉にある旅館の跡継ぎになる予定の少女。志磨仁太郎と黒咲常世が旅館で働くことになり、知り合いとなる。年齢のわりにしっかりとした性格で、家の手伝いも積極的に行っている。常世に懐いており、まるで姉のように慕っている。のちに有馬温泉で暮らすことになったリーゼロッテ・メッゲンドルファーとも親しくなり、彼女に洋服を作ってもらうことを楽しみにしている。
おばば
神戸の有馬温泉で民宿を営む高齢の女性。三人の娘の母親でもある。悪化していく持病と資金不足のため、現在は民宿を切り盛りできず、開店休業状態になっている。亡き夫は志磨仁太郎とそっくりで、夫との思い出が詰まった民宿を手放したくないと思いつつも、どうにもならない状況に頭を悩ませている。のちに、仁太郎と黒咲常世に大切な民宿を託す。
白鳥 策 (しらとり はかる)
神戸で働く若い医師の男性。結核に感染した黒咲常世の主治医になったことがきっかけで、志磨仁太郎と知り合いになる。穏やかな性格で、つねに笑顔を絶やさない癒し系。病気でふさぎ込みがちになっている常世を精神面で支えている。自分と同じ医療の道を志す曲直部珠子に恋心を抱き、交際を申し込む。
前作
大正処女御伽話 (たいしょうおとめおとぎばなし)
事故で体が不自由になって厭世的になった青年が、嫁としてあてがわれた明るい少女と関わるうちに、人生に前向きになっていく。大正時代を舞台に描かれる、ほんわか人情物語。集英社「ジャンプスクエア」2015年8... 関連ページ:大正処女御伽話
関連
大正処女御伽話 -厭世家ノ食卓- (たいしょうおとめおとぎばなし ぺしみすとのしょくたく)
桐丘さなの『大正処女御伽話』のスピンオフ作品。時は大正時代。不慮の事故で右手の自由を失った志磨珠彦は、同時に母親をも失い、父親からの期待も失って実家を追われ、千葉の田舎の別荘をあてがわれた。そんな中、... 関連ページ:大正処女御伽話 -厭世家ノ食卓-