「愛はいつもいくつかの過ちに満たされている もし愛が美しいものならばそれはこの男と女がおかす過ちの美しさにほかならぬであろう そして愛がいつも涙で終るものなら それは愛がもともと涙の棲家だからだ」……いきなり結論が出てしまったような言葉ですが、まだ自由恋愛の風潮も薄かった70年代の大ヒット漫画『同棲時代』に繰り返し登場するフレーズです。まるで歌の歌詞のようですが、それもそのはず、大信田礼子さんの歌唱で歌謡曲としてもヒットしました。この諦念に満ちた言葉を前に「それでもなお」と思えるのであれば、あなたの愛は本物だと言えるのではないでしょうか。
「マリア…私は悩み続けている この世には言葉が少なすぎる 余りにも少なすぎる 『愛する』という言葉以上の愛する表現が存在しない しかるにこの五体に漲る感覚の――これを一体どんな言葉で表現したらいいのだ」……強すぎる愛の表現に悩む繊細な男の苦しみといった風情の台詞ですが、この独白をしているのは格闘技漫画の最高峰のひとつ、『刃牙』シリーズにおいて合衆国最強とされる男、ビスケット・オリバ。「ミスター・アンチェイン」の異名を持ち、アリゾナ州立刑務所(ブラックペンタゴン)に収容される身ながら、犯罪者捕獲等の協力によって、王のごとき豪奢な暮らしをしているキューバ系アメリカ人です。身体的なダメージを受けた場合は1日10万kcalの食事で回復してしまうといえば、その並外れた異常性がわかるのではないでしょうか。そんな彼が純愛を捧げる女性マリアは、300kgの体重を誇る豊満にもほどがある美女。見かけだけであればあらゆるものの平均値をぶっ飛ばしたカップルですが、愛するという思いは普遍的なカップルのそれ。フツーとちょっと違うことがあるとすれば、オリバが選んだ愛の究極の表現は戦いだったこと。最強の男であるという証明をマリアに捧げようとしていることでした。
「ユリスモールへ さいごに これがぼくの愛 これがぼくの心臓の音 きみにはわかっているはず」……「さいごに」とあるように、これはこの言葉を書いた少年、トーマ・ヴェルナーの遺書にある文章です。ドイツのギムナジウム、シュロッターベッツを舞台に展開される「愛」をテーマにした物語『トーマの心臓』。今でいうBLかというと、そういう雰囲気こそありますが、本質的にはトーマ自身が「この“少年の時”としての愛がなにか透明なものへ向かって(性もなく正体もわからない)…投げ出されるのだということも知っている」と語るように、「エロス」ではなく神学的な無償の愛「アガペー」の物語であるといえるでしょう。凄惨なトラウマにより心を閉ざす上級生ユリスモールを再び生へと向かわせるため、トーマが選んだのは自らの死――。この謎かけのような行動によって混乱するユリスモールの前に現れたトーマによく似た顔の少年エーリク。物語はこのエーリクとユリスモールの二人を軸に進んでいきます。エーリクが図書館の本の間からトーマの決意を書いた紙片を見つけ出したのは、偶然ではなく必然でした。「これは単純なカケなんぞじゃない それからぼくがユーリを愛したことが問題なのじゃない 彼がぼくを愛さねばならないのだ どうしても 彼を生かすためならぼくは ぼくのからだが打ちくだかれるのなんかなんとも思わない ……そうして ぼくはずっと生きている 彼の目の上に」
「我が生涯に唯一の君よ! 明日よりの長き日々をいかに耐え いかに忍び給うや! 長き生きる難苦 我が忍耐を遥かに凌ぐ大試練なり! 我を待ち受けしはただ数刻の修羅! 我は幸福なり! 我一人安楽な道に進むことを許し給え!」……荒廃した未来を舞台に、弱き者たちを守るため、強化外骨格「零」をまとい、零式防衛術を駆使する少年・葉隠覚悟の戦いを描いた『覚悟のススメ』。上記の台詞は、覚悟が最終決戦に赴くにあたり、心を通じた想い人・堀江罪子を置いて去るときのものです。自らの死を目前に、愛する人がこれから受けるであろう生の苦しみを思いやることができる精神の強さはフィクションの世界においても随一ではないでしょうか。しかしここまで覚悟が思い切ることができるようになったのは、罪子とともに艱難辛苦を乗り越えたからこそ。幼少期から戦士として教育された、高潔すぎる精神の持ち主・覚悟にとっては、自らの恋心を認識し受け入れるのも一苦労でした。「ときめくな俺の心 揺れるな俺の心 恋は覚悟を鈍らせる」と言っていた覚悟がついに「我が生涯に唯一の君よ!」と言い切ることができたのは、まさに一皮剥けた成長の証でもあったのです。