概要・あらすじ
室町時代末期、三枝座の大夫の次男三枝羽角は、白楊座との立合能を経験し、伝統だけではなく創作能の実現に心思いを馳せる。父の後妻の連れ子乙輪の舞に天賦の才を感じ、伝統能に優れた白楊座に預けるが、乙輪を失い初めて本当の恋を知る。大衆人気を得て天下を取ろうとする三枝羽角は、天覧能で鐘巻に演出を加えた道成寺を成功させ、乙輪を取り戻そうとするが、二人をとりまく様々な思いが交錯し、遂に悲劇が訪れる。
登場人物・キャラクター
三枝 羽角 (さえぐさ はすみ)
『渕となりぬ』の主人公の1人。三枝座の大夫三枝豊前の次男。「夏栄(かえい)」と名付けられるはずだったが、母の妊娠中に浮気をした三枝豊前が羽の生えた角のある蛇に襲われる夢を見て、「羽角」と名付けられた。優れた能楽の作者でもあり舞手。白楊大夫に秘めた才を見抜かれるが自覚が無く、馬鹿にされていると思っている。 大内慰世に気に入られ、後援を受け天覧能を実現させる。乙輪を想う気持ちがすれ違い、悲劇を招く。
乙輪 (おとわ)
『渕となりぬ』の中人口の1人。三枝豊前の後妻垂水の連れ子で、三枝羽角の弟。能の名手犬王の血を引く。母子で病に倒れた折、三枝羽角が体をはって手に入れた薬によって命を救われ、心の底から惚れ込む。白楊座に移り芸を磨くけれども思いは一つ、三枝羽角と共に舞うこと。だが周囲の思惑から、その思いはすれ違う。
すずな
三枝羽角の母方の縁者で、ひたすら三枝羽角を愛し、「羽角が誰を好きでも幸せならそれでいい」と言い切るまっすぐな娘。すずなの望みは、一族の蛇の守り神が、不思議な力で助けてくれる。その力で幾たびも羽角を危機から救い、三枝座を助けた。羽角の創作能や奇抜な演出に必要な小道具を作り出す重要な存在。
遊佐 (ゆさ)
三枝座の笛方。父は、豪傑として知られた元大内家の重臣。元の名を遊佐武朗といい、その縁をたどり大内慰世の後援を取り付ける。座員の中でも三枝羽角の才能を見抜き、全幅の信頼をおく。それ故に三枝羽角の苦悩を取り除こうとする。
大内 慰世 (おおうち やすよ)
周防の大内家当主。河原で偶然出会った三枝羽角を「我が天人」と呼び寵愛する。野心家、田舎者、と言われるのを快く思わず、旧知の遊佐に「雅の道にも長けていることを表すため能一座の後援をしてはどうか」と紹介され、三枝座の後援者となる。京の周辺の戦さが激しくなり、領民ではない三枝座も領地内へと避難させる。
釣舟 (つりふね)
大内慰世の妹。政略結婚で三度嫁ぐが、三度とも相手が敵となり兄大内慰世に討たれ、毎回連れ戻されている簿幸の娘。三枝羽角に淡い恋をいただきつつ、細川元房のもとへと政略結婚させられる。
撫子 (なでしこ)
乙輪の幼なじみ。京の豪商の娘。京の町で再会し、乙輪の能舞台に通う。三枝羽角を恋敵と憎むほど、純粋に乙輪を恋する娘。
中御門 喬美 (なかみかど たかはる)
白楊座大夫。手猿楽から始め、母の実家の堺の豪商からの潤沢な資金を得て、腕自慢が集まり白楊座を作った。三枝羽角の才を認め、同じ土俵で競いたいと願うが、奇をてらう演出を「見せ物」と詰り、思いがすれ違う。志半ばにして肺の病にかかり療養しているところを賊に襲われ、綶を庇い絶命。
三枝 豊前 (さえぐさ とよさき)
三枝座の大夫で、春栄、三枝羽角、秋栄、冬栄の父。派手さは無いが、名手とうたわれる能楽師。三枝羽角の才能を認め、落ちぶれていた一座をもりたてるため、三枝羽角に賭ける。
於虹 (おこう)
三枝豊前の妻で、春栄、三枝羽角、秋栄、冬栄の母。すずなと同じ一族で、すずなからは「於虹さまも少し力があった」と言われている。幼い頃に三枝羽角は母の背後に白い大蛇の姿を見たことがあり、そのためすずなの姿を見ても怖がらない。
垂水 (たるみ)
三枝豊前の後妻で、乙輪の母。控えめな美人。初めての旅の途中で病にかかり、あえなく他界する。乙輪の能楽の才を知りながら、新しい家族とうまくやっていくため隠すようにと諭していた。
春栄 (しゅんえい)
三枝豊前の長男。三枝座の若大夫。芸は達者だが、父ににて穏やかで派手さに欠ける。三枝羽角と乙輪の才を買っており、自身も座を背負う者としての気構えがある。
薊 (あざみ)
春栄の嫁。三枝座の女将として、座員をまとめ取り仕切るしっかり者。三枝羽角と乙輪の才を買ってはいるが、三枝座を背負うのは春栄であるという理由で彼に嫁いだ。三枝羽角贔屓の遊佐を味方につけようと画策する。
観世 祐賢 (かんぜ ゆうけん)
観世座の若大夫。能楽の創始者観阿弥・世阿弥を始祖に持つ、由緒正しき幕府おかかえの観世座の座頭にして優れた能楽師。三枝羽角の才を認め、畏れても居る。実在の世阿弥の孫・音阿弥の六男・五世大夫を継いだ三郎之重祐賢をモデルとしている。
観世 信光 (かんぜ のぶみつ)
観世座の副大夫。興福寺より名誉的に与えられれる権守の称号を持つ。時流に合わせる三枝羽角と、理想を求める白楊大夫の目指すものの違いを理解し、「能楽が忘れ去られなければどちらでもよい」と語る。実在の世阿弥の孫・音阿弥の七男・小次郎信光をモデルとしている。
細川 元房 (ほそかわ もとふさ)
幕府重臣、細川家の縁者。毛利氏との戦に際し、長年敵対していた大内慰世と手を組みともに戦う。細川家主催の勧進能の代役を探していた際、三枝羽角を紹介された。釣船と政略結婚をする。
犬王 (いぬおう)
乙輪の父方の血筋とされる。近江猿楽日吉座の大夫で、観世座の観阿弥・世阿弥と人気を二分した猿楽能の名手。一時足利義満の不興を被ったが、後に許されて以降は寵愛をうけ、足利義満の法名「道義」の一字をもらい、阿弥号(芸能者の呼び名)を犬阿弥から道阿弥へ改名した。 実在の犬王道阿弥をモデルとしている。
綶 (まとう)
白楊大夫の従者。白楊大夫を深く敬愛している。白楊大夫が、三枝羽角と乙輪に目をかけることを不愉快に思いながらも、従順に従う。乙輪に励まされ、療養を決めた白楊大夫に告白し、最後まで側に仕えることを許される。
場所
三枝座 (さえぐさざ)
『渕となりぬ』に登場する、能楽座の一つ。座頭三枝豊前が大夫を務める丹波出身の一座。河内の国安楽寺での勧進能に白楊座が割り込み、立合能を行話題となる。次男の三枝羽角の創作能と奇抜な演出により、大衆人気を博し京へ進出、天覧能を成功させる。
白楊座 (はくようざ)
『渕となりぬ』に登場する、能楽座の一つ。白楊大夫と呼ばれるカリスマ的座頭の元に、腕自慢が集まり作られた堺出身の一座。河内の国安楽寺での勧進能に割り込み、三枝座と立合能を行い話題となる。
観世座 (かんぜざ)
『渕となりぬ』に登場する、能楽座の一つ。能楽の創始者観阿弥・世阿弥を始祖に持つ、由緒正しき幕府おかかえの能楽一座。高尚で優雅な能が求められていたが、観衆が大衆へと変わり戦乱が続けば能楽が廃れると危機感を持ち、三枝羽角が目指す大衆に受け容れられる能楽に理解を示す。
その他キーワード
道成寺 (どうじょうじ)
『渕となりぬ』に登場する、能楽の演目のひとつ。観世信光作鐘巻を三枝座三枝羽角が独自の創作を加え、天覧能で披露し大成功を収めた傑作。能のなかでも大曲のひとつ道成寺は、作者不詳とされている。