ミドリマキバオーの母の父、ブルードメアサイアーのマルゼニスキーはマルゼンスキーに由来します。
マルゼンスキーはイギリスの伝説の三冠馬、ニジンスキーを父に持ち、母シルのおなかの中にいたまま、いわゆる持ち込み馬として日本の競馬界にやってきました。
その強さはケタ違いで、通算成績は8戦8勝、一度の接戦を除けば全てが大差での勝利という、まさに最強の名に相応しい成績を残しました。
しかし、当時の日本の競馬界は持ち込み馬に対しての規制が厳しく、皐月賞、東京優駿、菊花賞といったクラシックレースには参加が認められていませんでした。
もしマルゼンスキーがクラシックに出走できていれば…、これは40年近く経った今なお、競馬ファンから聞こえてくる声です。
そんな思いを象徴するように、マルゼンスキーの全レースで手綱をとった中野渡清一騎手は、当時こんな言葉を残しています。
―「28頭立ての大外枠でもいい。賞金なんか貰わなくていい。他の馬の邪魔もしない。この馬の力を試したいから、マルゼンスキーに日本ダービーを走らせてくれ」―
馬の絶対的な強さに対する自信と、それを証明できない悔しさから来たこの言葉は、競馬史に残る名言として今なお語り継がれています。