新撰組が好きなら1度は読みたい!新撰組隊士を描いたマンガ10選143 Pt.

歴史の中でも人気が高い新撰組。多くの小説やマンガ・アニメなどが出ている。今回は新撰組にスポットが当たっている作品をマンガ10作品を紹介する。

作成日時:2018-06-02 19:00 執筆者:マンガペディア公式

新撰組が好きなら1度は読みたい!新撰組隊士を描いたマンガ10選

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概要

新撰組といえば、沖田総司・土方歳三・近藤勇などが有名だ。そんな彼らを描いた作品も多く発売されている。その中で、新撰組を描いたマンガを10作品紹介する。

『アサギロ~浅葱狼~』

舞台は幕末。白河藩の江戸屋敷に12歳でありながら、かなりの剣の腕前を持つ「沖田惣次郎」という少年がいた。「殿」は「沖田」の剣の腕が見たいという。それを聞き、白河藩の「立川」は指南番の剣豪「村上」に立ち合いの相手をするように伝えるのである。子供相手だと軽い気持ちで試合に臨んだ「村上」だったが悪戦苦闘。「殿」の前で負けるわけにはいかないと本気になるが「沖田」の実力が勝り、負けてしまう。この少年こそ、後の「沖田総司」である。「沖田」は百年にひとりの逸材だと気付いた「村上」は切腹後に首を落とす役目に「沖田」を指名した。「村上」の刀を報酬に引き受けたが、「沖田」は誤って「村上」が切腹する前に刀を振り下ろしてしまうのである。切腹をする前に首を落とすなど言語道断。「沖田」は神聖な切腹の儀を汚したとされ、投獄。そして拷問を受けることとなってしまったのだ。死すら感じるほどの罰を与えられ、絶体絶命の窮地に陥ってしまう。ただ剣が好きだった少年の人生が立ち合いで勝利しただけでこうも変わってしまうものなのか。投獄されたまま気力を無くしていたある日、「沖田」が通う試衛館道場の師範代「島崎勝太」が江戸屋敷に呼ばれた。「島崎」は後の新選組局長「近藤勇」である。その「島崎」の声に気付き起き上がる「沖田」は……?

『ちるらん 新撰組鎮魂歌』

1859年。「土方歳三」は薬売りをしながら関八州の道場破りをして回っていた。ある日、ボロい道場を発見。天然理心流試衛館という看板が掛けられていた。門をくぐり、道場内に入るとそこでは「永倉新八」と「斉藤一」の立ち合いが行われていた。そして、その立ち合いのまわりには「山南敬助」「原田左之助」「井上源三郎」「藤堂平助」がいたのだ。威勢よく入っていった「土方」。自分の剣を「斉藤」に軽くかわされたが、大将を出せと強気だ。そこに呼ばれたゆるい雰囲気の男「近藤勇」は、剣を持ちいざ立ち合いになると一変。圧倒的な威圧感にたじろいだ「土方」は、本気で立ち向かうも段違いの実力の差に勝ち目はない。だが、「土方」は諦めずに倒れるまで「近藤」と戦うのであった。「近藤」がここまで手こずるのは久しぶりであり、めずらしくケガも負っていた。その光景を外から見ていた「沖田総司」はまた厄介なのが増えそうだと言った。圧倒的な実力差でありながら、面白いと思った「土方」。ここまでの大敗にも関わらず面白いと思えるのは向上心の塊だからである。これを期に剣の師匠がいなかった「土方」は、天然理心流試衛館の正式な門人となったのである。最強を求める男の戦いが始まった。これは試衛館一門が浪士組として上京する4年前の出来事である。

『新選組刃義抄 アサギ』

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1863年、京都。御公儀の募った浪士組に入った「沖田総司」たちであったが、京に着いた途端、江戸に戻って尊王攘夷のために働けと言われてしまう。「近藤勇」の意により将軍様護衛のために浪士組を脱盟し、京に残ることとなった「沖田」たちであったが、京には何の当てもなく「藤堂平助」は落ち込むのである。ひたすら竹とんぼを作る「沖田」はなんとかなると笑顔を見せていた。この京でも俺たちにやるべきことはあると思い、頑張ろうと心に決めるのである。ある日、神社の前を通ろうとした時に「沖田」は変な声が聞こえたように思えた。「藤堂」は何も聞こえなかったと言うが、気になって境内に入っていくと首を捕られ倒れている人がいた。そして、その場に立つ人物が2人。その2人は「岡田以蔵」と「田中新兵衛」だった。京で起きている天誅のほとんどがこの2人の仕業だと言われていたのだ。まさにその現場に居合わせた「沖田」と「藤堂」。そして目の前に放り投げられた頭は、先日「沖田」たちを助けてくれた与力「高野清之進」だった。「岡田」と「田中」を動かしている黒幕は会津藩を目障りだと話す。今、京は大変なことになっていると感じた「沖田」は、やるべきことが見つかったのである。

『壬生義士伝』

1868年1月7日。鳥羽伏見の戦は大勢が決していて、大坂城は火の海となっていた。その頃、南部藩・大坂蔵屋敷の前に傷だらけで現れた男は新撰組の羽織を着ていた。かつて南部藩を脱藩したというその男は藩道場で代稽古をしていた「吉村貫一郎」だった。戦を切り抜けてきたと言う「吉村」は帰参したいと申し出たのである。匿ってくれと言うのならばともかく帰参したいという「吉村」をそこにいた南部藩の面々は外道だと罵倒し暴力を振るった。「吉村」のことを報告受けた蔵屋敷差配役「大野次郎右衛門」は「吉村」を屋敷に入れることを許可したのである。実は「吉村」は「大野」の元組付足軽で幼馴染でもあったのだ。快く迎えてくれたのかと思いきや、「大野」は切腹しろと言い放つ。通された奥座敷で途方に暮れる「吉村」は過去を思い出していた。新撰組で一番強かった男と言われる「吉村」が、奥さんと子供に会いたいその一心で、戦から切り抜けてきた。武士としての信念がないわけではない。ただ今の新撰組にはついていけなかったのだ。生きてほしい、生き延びてほしい。「吉村」は家族や「大野」、新撰組の面々を思い出しながらそう思うのだった。

『誠のくに』

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「山口一」は無口で誰よりも熱い男だった。子供の頃から自分の居場所はここではないという気持ちがあったのだ。無意識のうちに侍の生きる場所、死ねる場所を探していたのである。ある夜、初めて人を斬ってしまった「山口」はその場で立ちつくしてしまう。そこへ現れた一人の男は誰かが来る前に立ち去れと言う。いい腕だったと褒めてくれたその男は、京へ侍になりに行くと言って立ち去ったのである。その言葉が耳に残った。家に帰り、人を斬ってしまった「山口」は切腹すると父に宣言。だが、父は山口家に罪人を作りたくないと必死で止めるのだ。そして知人がいるから京へ行けと言う。先ほども聞いた京という場所。「山口」は京に興味を持つのである。そして、京へ侍になりに行くと言って立ち去った男は新選組の「土方歳三」であった。京へ来た「山口」は新選組に入隊、名前も「斉藤一」と変わる。会津での激戦、「近藤勇」が亡くなってからの「土方」と「斉藤」が交わした熱い思い。「土方」と別れてからも会津で戦いながら生きる場所と死ぬ場所を探し続ける。

『新選組異聞 PEACE MAKER』

1864年、京都。強くなりたい「市村鉄之助」は新撰組に入ろうとその門を叩いた。両親を目の前で長州藩士に殺されたことから、強くなりたいという気持ちが強かった。小さくて威勢のいい「鉄之助」は毎回門の前で言い争いになるのである。新撰組にソロバン隊士として入隊できた兄「辰之助」を羨ましく思うが、「辰之助」は職に就いて金をもらうために入隊しただけと言うのだ。そうでなければ人斬り集団に入るわけがないと。しかし、父との約束を叶えるためにもどうしても入隊したい「鉄之助」。ある日、偶然出会った男に新撰組に入れるよう頼んであげると言われ、その男に付いていくとそこにいたのは「近藤勇」だった。「近藤」は奴の頼みだから、「沖田総司」に勝てるなら入隊を許可するという条件を付けたのである。しかし、そこに現れたのは「近藤」の元まで連れてきてくれたあの男だった。いざ手合わせが始まると全く歯が立たない「鉄之助」。外へ吹っ飛ばされた時、「沖田」との間に入った「土方歳三」は入隊を認めないとキッパリ言う。「沖田」は「鉄之助」にある情報を教えた。その情報の場所へ行くと、「土方」が大勢の男たちに襲われる場面に直面。しかし、「土方」はあっという間にその男たちを仕留めたのである。「土方」は「新選組では仇討ちの剣は身につかない」「身につくのは鬼のなり方だ」と「鉄之助」に教える。だが、鬼さえも恐れないと宣言する度胸を買われ入隊を許可されたのであった。

『北走新選組』

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1863年、京都。浪人を斬った「土方歳三」は同じく斬られ、身を隠そうとしていた。そこへ偶然通りかかった男女。その女「君菊」は島原で「土方」を匿い、手当てしてくれたのである。帰ろうとするが、外には斬った浪人の仲間がうろついていたため、迂闊に外に出られないでいた。そこで手紙を書き、島原まで助けに来てくれと「沖田総司」に頼んだのだが、「近藤勇」たちまで一緒に迎えに来てくれたのである。島原の門の前で待ち合わせた「土方」たちだったが、そこへ斬った浪人の仲間たちが現れる。斬りかかりに来る浪人に自身の刀を抜こうとした「土方」より前に浪人を斬ったのは「近藤」と「沖田」だった。江戸から京都の不逞浪人を取り締まるために来ていた新選組。「君菊」の目の前で殺してしまったことを詫びる「土方」は、そこで初めて自分の名を名乗ったのである。「また近いうちに」と言って立ち去る「土方」たち。彼ら新選組は、この京都で新選組を結成し、職務である不逞浪人を取り締りで活躍。ここから新選組の物語は始まっていくのである。

『この剣が月を斬る』

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親を亡くし、姉に連れられて来たのは「試衛館」だった。9歳でこの道場に預けられることとなった「沖田宗次郎」、のちの「沖田総司」である。その日の夜、雨が降りしきる中、野良猫たちをかまう男がいた。道場主の息子「嶋崎勝太」、のちの「近藤勇」だ。「沖田」の兄弟子だという「嶋崎」は、剣を教えると言う。しかし、「沖田」は教えはいらない、勝負しろと剣を向けるのである。だが、「嶋崎」は生意気なクソガキと勝負はしないと背を向けたのだ。逃げるのかと声を投げかけるが、逃げるのではない嫌なのだと言うのである。翌日、道場での稽古が始まったが、「沖田」は皆と同じ稽古をしようとしない。くだらないと吐き捨てる「沖田」に怒る「嶋崎」。だったら勝負しろというが「嶋崎」は勝負を受けなかった。弱い奴は死んで笑われる。「沖田」の父は「沖田」を守ろうとして背中を斬られ、死んだのだ。だから自分は強くなるんだと必死に自分を磨いてきた。だが、刀を目の前にして敵に怯える「沖田」。そこへ助けに来たのは「嶋崎」だった。あんなにも自分との勝負を受けなかった「嶋崎」があっという間に敵を斬ったのだ。そして「沖田」に死ぬ覚悟のない者が刀を持つなとハッキリ告げた。「嶋崎」の武士とはなんたるかを聞いた「沖田」は、改めて武士になろうと決意したのである。

『月明星稀-さよなら新選組』

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1864年、京都。新選組は不逞浪士の取り締まりをしていた。「土方歳三」は敵だけでなく、新選組隊士にも厳しく鬼と言われていた。不逞浪士取り締まり後、「近藤」からの労いが終わると「土方」の出番だ。背中に傷がある者は敵に背を向けた臆病者、刀に血が付いていない者は戦闘にさえ参加しなかった臆病者。そんな士道不覚悟の者には切腹を命じていた。介錯も仲間の隊士に命じていたのである。武士として新選組に入ってきたなら殺す覚悟も死ぬ覚悟も出来ているはずだと言う「土方」。隊士が減ると新しく募集をかける。武士に憧れる人たちが入隊審査を潜り抜け入隊してくるも、命をかけるという覚悟が出来ていない者が多かった。臆病な者は隊の足手まといになる。そして、その臆病さはまわりに伝染してしまう。それをわかっていた「沖田総司」も「土方」やり方が一概に間違っているわけではないと理解していた。素人集団である新選組を日本最強の集団にすべく、「土方」は鬼と言われようが己の志を貫くのである。ただ憧れだけでは真の武士にはなれないことを「土方」に教えてくれたのは13年前の「近藤勇」だった。

『ひなたの狼—新選組綺談— 』

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1863年、京都。浪人を斬った「土方歳三」は同じく斬られ、身を隠そうとしていた。そこへ偶然通りかかった男女。その女「君菊」は島原で「土方」を匿い、手当てしてくれたのである。帰ろうとするが、外には斬った浪人の仲間がうろついていたため、迂闊に外に出られないでいた。そこで手紙を書き、島原まで助けに来てくれと「沖田総司」に頼んだのだが、「近藤勇」たちまで一緒に迎えに来てくれたのである。島原の門の前で待ち合わせた「土方」たちだったが、そこへ斬った浪人の仲間たちが現れる。斬りかかりに来る浪人に自身の刀を抜こうとした「土方」より前に浪人を斬ったのは「近藤」と「沖田」だった。江戸から京都の不逞浪人を取り締まるために来ていた新選組。「君菊」の目の前で殺してしまったことを詫びる「土方」は、そこで初めて自分の名を名乗ったのである。「また近いうちに」と言って立ち去る「土方」たち。彼ら新選組は、この京都で新選組を結成し、職務である不逞浪人を取り締りで活躍。ここから新選組の物語は始まっていくのである。

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