概要
漫画家、アニメーション作家。男性。1946年、大学在学中に「少国民新聞」に『マアチャンの日記帳』を連載し、デビュー。1947年『新寶島(原作・酒井七馬)』がベストセラーとなる。1948年には『地底国の怪人』などSF、冒険作品を執筆している。初期を代表するSF三部作として、『ロストワールド』『メトロポリス』『来るべき世界』がある。大阪で赤本漫画を描く傍ら、東京へも持ち込みを行っており、1950年「少年少女漫画と読み物」に初の雑誌連載作品『タイガー博士の珍旅行』を連載。同年「漫画少年」に『ジャングル大帝』の連載を開始。1951年に『鉄腕アトム』の前身となる『アトム大使』を連載。1952年から『鉄腕アトム』を連載。本作は1963年にテレビアニメが放送され、その他劇場アニメやゲームなど多数コミカライズされている。1953年「少女クラブ」に『リボンの騎士』を連載。同年豊島区のトキワ荘に入居。入居者は寺田ヒロオ、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などがおり、トキワ荘は漫画家のメッカとなった。1954年には「漫画少年」に『火の鳥』を連載。本作は手塚のライフワークとなる。幼少期からディズニー映画のファンだったこともあり、1961年「手塚プロダクション」に動画部を設立。1962年「虫プロダクション」と改名し、日本初のテレビアニメーション『鉄腕アトム』を制作する。制作にはフル・アニメーション手法とは異なり、簡略化した表現手法としてリミテッド・アニメーションを採用。日本では手塚が初めて採用した手法である。これにより日本は世界一のテレビアニメ生産国となった。1966年、水木しげるによる妖怪ブームを意識して「少年サンデー」に『バンパイヤ』、1967年に『どろろ』を連載。その後『アポロの歌』などを執筆するも、思うように人気が上がらなかった。さらにアニメーション事業も経営難に陥っており、1973年「虫プロダクション」が倒産、借金を背負うことになる。しかし1973年に「週刊少年チャンピオン」に連載した『ブラック・ジャック』が大ヒット、1974年に連載した『三つ目がとおる』も人気作品となり低迷期を抜けた。1977年『手塚治虫漫画全集』を講談社から刊行。この頃から「漫画の第一人者」「漫画の神様」などと呼ばれるようになった。1988年から体調を崩し、医師により胃癌と診断される。しかし本人には告知されなかったため、入院中も漫画の執筆を続けるなど、最後まで漫画を描くことを諦めなかった。1989年2月9日胃癌により死去。享年60歳であった。
ヒストリー
- 1928年11月3日
大阪府豊中市に生まれる。
- 1946年
「少国民新聞」に『マアチャンの日記帳』を連載し、デビュー。
- 1947年
『新寶島(原作・酒井七馬)』を刊行。
- 1948年
単行本『地底国の怪人』を発売。
- 1948年
単行本『ロストワールド』を発売。
- 1949年
単行本『メトロポリス』を発売。
- 1950年
「少年少女漫画と読み物」に『タイガー博士の珍旅行』を連載。
- 1950年
「漫画少年」に『ジャングル大帝』の連載を開始。
- 1951年
単行本『来るべき世界』を発売。
- 1951年
「少年」に『アトム大使』を連載。
- 1952年
「少年」に『鉄腕アトム』を連載。
- 1953年
「少女クラブ」に『リボンの騎士』を連載。
- 1953年
豊島区のトキワ荘に入居。
- 1954年
「漫画少年」に『火の鳥』を連載。
- 1958年
『漫画生物学』『びいこちゃん』で、第3回小学館漫画賞を受賞。
- 1959年
岡田悦子と結婚。
- 1959年
「週刊少年サンデー」に『スリル博士』を連載。
- 1961年
「手塚プロダクション」に動画部を設立。
- 1962年
「虫プロダクション」と改名し、日本初のテレビアニメーション『鉄腕アトム』を制作。
- 1963年
テレビアニメ『鉄腕アトム』を放送。
- 1963年
『ある街角の物語』で、芸術祭奨励賞、第1回大藤信郎賞、ブルーリボン教育文化映画賞を受賞。
- 1966年
「週刊少年サンデー」に『バンパイヤ』を連載。
- 1967年
「週刊少年サンデー」に『どろろ』を連載。
- 1970年
『火の鳥』で、第1回講談社出版文化賞児童まんが部門を受賞。
- 1972年
「希望の友」に『ブッダ』を連載。
- 1973年
「虫プロダクション」が倒産。
- 1973年
「週刊少年チャンピオン」に『ブラック・ジャック』を連載。
- 1974年
「週刊少年マガジン」に『三つ目がとおる』を連載。
- 1975年
『ブッダ』『動物つれづれ草』で、第21回文藝春秋漫画賞を受賞。
- 1975年
『ブラック・ジャック』で、第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞を受賞。
- 1977年
『三つ目がとおる』『ブラック・ジャック』で、第1回講談社漫画賞少年部門を受賞。
- 1977年
『手塚治虫漫画全集』を講談社から刊行。
- 1979年
巌谷小波文芸賞を受賞。
- 1980年
サンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞を受賞。
- 1983年
『陽だまりの樹』で、第29回小学館漫画賞青年・一般向け部門を受賞。
- 1984年
『ジャンピング』で、ザグレブ国際アニメーション映画祭グランプリを受賞。
- 1984年
ユネスコ賞を受賞。
- 1985年
『おんぼろフィルム』で、第1回国際アニメーション映画祭広島大会グランプリを受賞。
- 1985年
東京都民栄誉賞を受賞。
- 1985年
講談社漫画賞特別賞を受賞。
- 1986年
『アドルフに告ぐ』で、第10回講談社漫画賞一般部門を受賞。
- 1988年
朝日賞を受賞。
- 1988年
『森の伝説』で、毎日映画コンクール大藤賞を受賞。
- 1988年
ザグレフ国際アニメーション映画祭CIFEJ賞を受賞。
- 1988年
体調を崩し、医師により胃癌と診断される。
- 1989年2月9日
胃癌により死去。享年60歳。
- 1990年
第19回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。
- 2004年
『ブッダ』で、アイズナー賞最優秀国際作品部門を受賞。
- 2014年
『人間昆虫記』で、スペイン、バルセロナのコミックサロン外国作品部門を受賞。
- 2014年
『地底国の怪人』で、アイズナー賞最優秀国際アジア作品部門を受賞。
受賞
- 1958年
第3回 小学館漫画賞
- 1963年
芸術祭奨励賞
- 1963年
第1回 大藤信郎賞
- 1963年
ブルーリボン教育文化映画賞
- 1970年
第1回 講談社出版文化賞 児童まんが部門
- 1975年
第21回 文藝春秋漫画賞
- 1975年
第4回 日本漫画家協会賞 特別優秀賞
- 1977年
第1回 講談社漫画賞 少年部門
- 1979年
巌谷小波文芸賞
- 1980年
サンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞
- 1983年
第29回 小学館漫画賞 青年・一般向け部門
- 1984年
ザグレブ国際アニメーション映画祭グランプリ
- 1984年
ユネスコ賞
- 1985年
第1回 国際アニメーション映画祭広島大会グランプリ
- 1985年
東京都民栄誉賞
- 1985年
講談社漫画賞特別賞
- 1986年
第10回 講談社漫画賞 一般部門
- 1988年
朝日賞
- 1988年
毎日映画コンクール大藤賞
- 1988年
ザグレフ国際アニメーション映画祭CIFEJ賞
- 1990年
第19回 日本漫画家協会賞文部大臣賞
- 2004年
アイズナー賞最優秀国際作品部門
- 2014年
スペイン、バルセロナのコミックサロン 外国作品部門
- 2014年
アイズナー賞 最優秀国際アジア作品部門
作品
- 1947年
-
作者
- 1947年
-
作画
- 1948年
-
作者
- 1948年
-
作者
- 1949年
-
作者
- 1950年
-
作者
- 1950年
-
作画
- 1951年
-
作者
- 1951年
-
作者
- 1952年
-
作者
- 1952年
-
作者
- 1952年
-
作者
- 1953年
-
作者
- 1954年
-
作者
- 1954年
-
作者
- 1956年
-
作者
- 1956年
-
作者
- 1957年
-
作者
- 1959年
-
作者
- 1959年
-
作者
- 1960年
-
作者
- 1963年
-
作者
- 1965年
-
作者
- 1966年
-
作者
- 1967年
-
作者
- 1967年
-
作者
- 1967年
-
作者
- 1968年
-
作者
- 1968年
-
作者
- 1968年
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作者
- 1969年
-
作者
- 1969年
-
作者
- 1969年
-
作者
- 1970年
-
作者
- 1970年
-
作者
- 1970年
-
作者
- 1971年
-
作者
- 1971年
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作者
- 1972年
-
作者
- 1972年
-
作者
- 1972年
-
作者
- 1973年
-
作者
- 1973年
-
作者
- 1973年
-
作者
- 1974年
-
作者
- 1974年
-
作者
- 1974年
-
作者
- 1974年
-
作者
- 1976年
-
作者
- 1979年
-
作者
- 1979年
-
作者
- 1980年
-
作者
- 1981年
-
作者
- 1981年
-
作者
- 1981年
-
作者
- 1983年
-
作者
- 1986年
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作者
- 1987年
-
作者
- 2003年
-
原作
- 2015年
-
原案
関連キーワード
手塚 眞 (てづか まこと)
日本のビジュアリスト、映画監督、俳優。 関連ページ:手塚 眞
笹川 ひろし (ささがわ ひろし)
日本のアニメ監督。漫画家。作家。漫画家になることを夢見て手塚治虫に漫画を投稿し続けた結果、彼に誘われて初代アシスタントに抜擢された。独立後、1963年から始まった虫プロダクションの代表作『鉄腕アトム』... 関連ページ:笹川 ひろし
古谷 三敏 (ふるや みつとし)
漫画家。男性。1955年『みかんの花咲く丘』で、デビュー。漫画家「手塚治虫」、「赤塚不二夫」のアシスタントを経て独立。少女誌を中心に活動する。1970年「週刊少年サンデー」にギャグ漫画家『ダメおやじ』... 関連ページ:古谷 三敏
久松 文雄 (ひさまつ ふみお)
日本の漫画家。男性。1958年、中学3年生の時期に描き下ろし単行本『スーパー・ライトの活躍 地球危うし!』(田中夢次名義)を発表し、漫画家デビュー。高校卒業後に上京し、手塚治虫のアシスタントを務めつつ... 関連ページ:久松 文雄
小室 孝太郎 (こむろ こうたろう)
漫画家。男性。20歳の時から手塚治虫のアシスタントを務め、1968年に独立。1969年「週刊少年ジャンプ」から『トワイライトゾーン』でデビュー。同年、同誌にて『ワースト』の連載を開始。斬新なテーマと壮... 関連ページ:小室 孝太郎
寺沢 武一 (てらさわ ぶいち)
日本の漫画家。男性。浪人生の時に投稿した漫画家が入賞し、漫画家を志す。1976年に上京して手塚治虫プロダクションに入社。漫画部スタッフとして働く。1977年、『大地よ、蒼くなれ』で、手塚賞佳作に入選。... 関連ページ:寺沢 武一
池原 しげと (いけはら しげと)
漫画家。男性。中学時代に手塚治虫の『鉄腕アトム』の影響で漫画を描き始める。社会人になり営業職を2ヶ月勤めたあとに、1970年友人の誘いで手塚プロダクションに入社。1年半ほど手塚治虫のアシスタントを行な... 関連ページ:池原 しげと
石坂 啓 (いしざか けい)
漫画家。女性。1976年、大学3年の時に父親の経営する会社が倒産。漫画家を志し、1978年に上京、漫画家「手塚治虫」に師事。「手塚プロ」在社中の1979年『とろりんなんぼく』で漫画家としてデビュー。1... 関連ページ:石坂 啓
高見 まこ (たかみ まこ)
日本の漫画家。女性。手塚治虫に憧れて漫画家を志し、手塚プロダクションに就職。手塚プロの同期には、石坂啓、三浦みつる、寺沢武一などがいる。1980年「LaLa」から『みどりのラブステップ』で漫画家デビュ... 関連ページ:高見 まこ
喜国 雅彦 (きくに まさひこ)
多摩美術大学油画科卒。大学在学中は漫画研究会に在籍。1981年「ヤングジャンプ」に、風・雅のペンネームで『ふぉーてぃん』を掲載。漫画家デビューする。1986年『チャリンコに乗ったロックンローラー』がヤ... 関連ページ:喜国 雅彦
堀田 あきお (ほった あきお)
日本の漫画家。北海道出身。作品に『アジアのディープな歩き方』『すかんぴん』『ガキ雀』など。妻、堀田かよとのペンネーム「堀田あきお&かよ」名義の作品も多い。 関連ページ:堀田 あきお
高井 研一郎 (たかい けんいちろう)
日本の漫画家。男性。中学3年生の頃から漫画を描き始め、「漫画少年」への投稿を通して石森章太郎、赤塚不二夫と知り合う。後に九州漫画研究会を結成、松本零士と知り合う。1956年、「少女」に『リコちゃん』が... 関連ページ:高井 研一郎
村野 守美 (むらの もりび)
漫画家、アニメーター。男性。満州からの引き上げの際、学校の窓から落ちて脊髄を損傷。以後、車椅子で生活する。戦後は福島県会津若松市で幼少期を過ごす。1960年「少年」夏季増刊号から『弾丸ロンキー』でデビ... 関連ページ:村野 守美
伴 俊男 (ばん としお)
日本の漫画家。 関連ページ:伴 俊男